masayaan

ブラック・シーザーのmasayaanのレビュー・感想・評価

ブラック・シーザー(1973年製作の映画)
3.0
【続】タランティーノの『ジャッキー・ブラウン』があまりにも面白かったので、70年代のブラックスプロイテーション映画を見てみるプロジェクト、その4。レビューというより総論みたいな話になってしまったので、黒人文化に興味がない人はスルー推奨。

***

さて、藤原帰一という東大の先生が書いた『映画のなかのアメリカ』という滅茶苦茶つまらない本があって、映画を実社会(=実際のこのアメリカ)の表象として見ることがいかに退屈なことかを逆説的に証明している、そういう意味では貴重と言えなくもない、ブックオフで100円ならば買っても損はしない本なのだけど、そこに「アメリカの影」という章があるので簡単に紹介したい。

映画を畏れることをまったく知らないと見えるこの藤原先生からすれば、ほとんど才能がないらしいジョン・カサヴェテスという映画作家がかつてニューヨークにいて、彼が処女作として撮った『アメリカの影』は、その題材こそを評価すべきというのである。つまり、それは都市生活を送る黒人の生活を、あくまでも黒人の側から描いた作品であると。この指摘はきわめて単純だが見落としがちなポイントかもしれない。

ブラックスプロイテーションという、興味本位で見始めたこのマイナーなジャンル映画になんとなく惹かれるのは、それが黒人的なものの商業利用だとしても、広義では『アメリカの影』の子孫たちにあたるかもしれぬという儚い予感と、それがヒップホップ前夜に量産されているという事実と、あとは単純に、70年代のニューヨークの風俗をそれとなく記録している点にある。(本作においても、街頭ロケはゲリラ撮影と見えて、通行人が素人っぽく振り向いたり撮影についてきたりしている様子が当時の街並みとともに収められている。)

もちろん、ほんの数作を見る限り、ブラックスプロイテーションは『アメリカの影』ほどの映画性を獲得してはいないのだろうが、白人の差別に実力で対抗し、時にはやっつけてしまうという娯楽性は『アメリカの影』にはなかったものだ。ここの辺はもっと先行議論があってもよさそうだが、軽く検索した限り、<真っ向から黒人社会を扱っているように思えるんですが、なぜかあまりブラックムービー関連の本には登場してこない作品>と、「議論の不在を議論する」ブログ記事がたった一つヒットしただけであった。

とは言えこの話は長くなりそうなのでまたどこかで・・・。

***

このジャンルに興味がある人間で見てない人はいないというこの『ブラック・シーザー』は、ポップ・カルチャー・サイト『COMPLEX』が選ぶ、「史上最も素晴らしいブラックスプロイテーション映画ベスト50」、第19位の作品。音楽はジェームス・ブラウン(!)。本音を言うと、音楽が映画に勝ってしまっている作品かなーと。ただ、どれほど途中、退屈でも、ラスト10分のために粘る価値はあると思います。

http://www.complex.com/pop-culture/2013/07/best-blaxploitation-movies/black-caesar
masayaan

masayaan