継

北の橋の継のレビュー・感想・評価

北の橋(1981年製作の映画)
4.0
刑務所から出てきたばかりのマリーは恋人のジュリアンの元へ向かうが, その途中で何度も何度もバチストに出会う。
これに運命を感じたバチストは頼まれてもないのに何故かマリーの護衛を買って出る。
ジュリアンは何かを隠して秘密を打ち明けないが, バチストが彼の鞄👜をすり替え, 中から切り抜きの新聞記事と謎の地図を見つけた事から, 二人は陰謀に巻き込まれていくことに…。

地図上に大きく描かれた渦巻を細くマス目で区切って繋いだ, パリ市街を “すごろく” に見立てたゲーム。二人は止まったマス内に実際にある井戸とか墓地とか橋を歩いて巡ります。
寝場所もなく街をさまよう・どうにか此処を出てよそへ行きたい二人は, それが叶うと信じてゴールを目指すのですが。。。

パッケージ裏のあらすじから, バチストが「ドン・キホーテ」的なキャラなのは想像出来たものの,
ロシナンテならぬちっぽけなモーターサイクルに跨り, 鎧ならぬ革ジャンと兜としてのヘッドホンで「騎士」として登場し, 出逢ったマリーを「姫」として守らんとし, 風車ならぬ竜🐲wwに闘いを挑む…まさかここまでとは😹
劇伴で流れる“リベルタンゴ”は, 旧来の様式に囚われたタンゴを現代へ解放したピアソラの象徴的な曲で, 勇壮なメロディはバチストに相応しいんだけど, “ドン・キホーテ” が頭にないとトボケた感じにしか聞こえないかも。

'81年作。
なのに冒頭では「1980年10月か11月、もうずっと昔のこと」とテロップは告げる。
ミッテラン政権によるパリの都市整備計画「グラン・プロジェ」着工中の市街で撮影が行われ, それが完成した後に公開された事をさすのかもしれません。
古い駅舎をオルセー美術館へ改築したのもこの政策によるものなんだけど, 市民を蔑ろにした都市計画には批判的な声もあったようで, 過去に『パリはわれらのもの』なんてタイトルの映画も撮ってるリヴェットとすれば政治家が頭ごなしにパリを弄るのには何かしら思う所があったのかも。
「自由」に生きるバチストや, それをタンゴに希求したピアソラの劇伴,
バチストの台詞「さあ来いバビロン (→スラングとして不当な政治権力を意味する)」や、
元々は古代ギリシャ都市の呼称である “Police” のレコードを, 奪い合う子供達の内の一番小さくか弱い子へ託すエピソード, なんかはその心の内を伝えるようでした。

閉所恐怖症で屋内に入るのもキツいマリーと,街に暮らす自由人·バチストは必然的にパリ市街を歩き回る事になり, 変わりゆく街の様子を伝えます。
マリーはジュリアンを一途に愛する一方で, 街中で喋りながらおもむろにスカートを履き替えたり, お花を摘みに平気で植え込みへ入っていったりするwwチョット変わった女性。
バチストは “監視されてる” という思い込みを常に持ってる, だいぶ変わった不思議ちゃんで, 街中に貼られたポスターは彼女に “監視人” とみなされて軒並みナイフで目をくり抜かれるwwのに, 黒澤明『影武者』のそれだけはマリーに止められて難を逃れるのが作り手の忖度を見るようで(笑)面白かった☺

スクラップ&ビルドが進むパリの街を象徴するかのような二人は, 実生活では母(マリー)と娘(バチスト)。
過去を一掃するつもりだったマリーを待ち受ける運命と,
師であり父性をも漂わす出会いに, 再構築されるであろう明るい未来を予感したのか思わず笑みをこぼすバチスト。
彼女の姿を区切るように画面に登場して縦・横に走る線は, 新たなパリの地図上に描かれるであろう彼女の人生の“すごろく”を表すもの?
でもそんな妄想にも, この後に娘=パスカル・オジェが25歳で急逝してしまうというあまりに皮肉な現実が冷水を浴びせます。
一寸先は闇, 正にゲームのような人生。
マリー役の母·ビュルにとっては期せずして貴重なフィルムとなってしまった, 今作の共演でした。
継