ゆーくらしく

ヘンリィ五世のゆーくらしくのレビュー・感想・評価

ヘンリィ五世(1945年製作の映画)
3.0
「オリビエとブラナーが描く人物としてのヘンリー五世の比較」

 「ヘンリー五世」の映画化について,全体としてオリビエ版が明るくコメディとしての部分があるのに対して,ブラナー版は暗く戦争を扱った作品としての印象が強かった.本稿ではより細かな違いを調査するため,特にヘンリー王が印象的に映る4幕3場と5幕2場に着目し,王の描き方や映画の作り方の違いを比較し論じる.

 まず,4幕3場アジンコートの演説(p160.13-p163.17)から比較する.
 オリビエはこの演説をワンショットで撮っている.中央の王の周りに数十人の兵士を置いて始め,王が台車に乗った後は徐々に俯瞰ショットとなり,演説を聞く兵士の全貌が見えてくる.兵士が勝鬨を上げる瞬間の構図から感じられるのは,王が神々しさを放ち兵士達の上に立っているということである.
 一方,ブラナー版の王は画面の端で演説を始める.ウェスモランド達と同じ目線からのあおりショットが鑑賞者に王の演説を眼前で聞いているかのような感覚を与える.兵士の手を取り台車に乗る姿や,若い兵士の肩を叩く姿からは王の親しみが感じられる.このショットが文章では2ページほど続き,その後カットが入り王のクロースアップに移る.そして切り返しショットとして王から見た兵士達が様々な角度で映る.兵士が勝鬨を上げるシーンではオリビエ版に見られた王と兵士達のワイドショットではなく,兵士達のクロースアップである.
 以上のシーンでオリビエから感じられるのが神々しい王の像だとするならば,ブラナーから感じられるのは親しみやすいリーダーとしての王の像である.またオリビエが俯瞰のワンショットで撮り、ブラナーが後半クロースアップでとったことはそれぞれが演劇,映画を意識しているからだと考えられる.
 
 5幕2場の王とキャサリンの会話からも両者の描き方の違いがわかる.
 オリビエ版の王は自信に満ち溢れており,キャサリンに対する王としての威厳や強さというものを感じる.声や演技だけでなく,王の着ている赤い服が周りの淡い色に比べはるかに目立っていることからも言える.

そしてあなたは天使のようだ(p218.11) (1)

王とキャサリンが段差の上に立つが,キャサリンは徐に座る.このショットの構図からも王,キャサリン,アリスの関係性がはっきり示されている.この後も王とキャサリンのダイアローグが続くがキャサリンは王を見上げる形で示される.

いや,あなたがフランスの敵を愛するのは不可能だ,ケイト(p222.1) (2)

この文章から始まるダイアローグは城の外で撮影されている.城の内側から撮影するより柱が強調され,王とキャサリンのより強い隔たりを感じる.しかし王はその隔たりを乗り越え,フランス語を話すことでキャサリンの心を開こうとする.
 一方でブラナー版の王は柔らかい喋り方と温厚な態度をとる.衣服も背景が赤みがかっているためそれほど目立って見えない.(1)のダイアローグも机を隔てて行われているため,立場的なものは感じられず,それぞれの表情をクロースアップしている.(2)のダイアローグはオリビエに比べてタイトショットになり,より親密さが感じられる.キャサリンだけでなく王までもが腰をおろして撮影されている.中央のアリスは隔たりというよりむしろキャサリンの支えのように見え,王の拙いフランス語で三人が笑う瞬間は立場や権力の強さといったものが感じられず,日常的な雰囲気が演出される.

 結論として,オリビエ版は神々しく,自信に満ち溢れた強い王が描かれていた.ブラナー版は親しみやすいリーダーであり,人間味のある王が描かれていた.

オリビエによれば,『ヘンリー五世』はまず第一に過去の歴史に存在した舞台劇を再現した映画であり,さまざまな上演の制約に縛られた一種の喜劇だということであろう.したがってヘンリーに対する私たちの「情緒的同一化」はこの時点ではほとんど起こらない.[1]

この舞台劇の再現ということが,より一層オリビエ版の王に対する心理的距離や王としての威厳・神々しさが演出される要因であると考える.一方で,この「情緒的同一化」という言葉を使うなら,演劇を超えたクロースアップによる表情や人間らしい親しみやすさが演出されたブラナー版の王に「情緒的同一化」を起こすのも必然であると考える.実際に同じシーンを比較してみて,オリビエ版はワイドショットで背景や建物が広く映る映像が多く.ブラナー版はクロースアップショットで人物の表情を見せる映像が多かった.

[1] 中村裕英,“オリビエとブラナーの『ヘンリー五世』におけるハイパーテクスチュアリティの比較”,“演劇と映画 複製技術時代のドラマと演出”,P255,晃洋書房,1998.1.20