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東風の教授のレビュー・感想・評価

東風(1969年製作の映画)
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ジャン=リュック・ゴダールが「ジガ・ヴェルトフ集団」を名乗り映画を「政治言語化」する試みに邁進した作品。
久しぶりに映画を観ながら虫唾が走った。

といっても、結局はいつもの通りの「ゴダール映画」なわけで、作家のテーマが批評としても出揃って権威が確定しているわけで、個別の作品についてあーだこーだと述べるのも野暮な気がする。

モロに「共産主義革命」を標榜し、物質主義を否定し、格差を否定し、労働者の連帯を主張し、そこにゴダールなりと「映画と政治」との関係をはからずも浮かび上がらせてしまう。
膨大に被せられる「左翼的言語」の応酬と「西部劇」を対比させ、これもまた相変わらず「映画」と「映画史」に対して悶々としているゴダールの顔が垣間見える。

で。
総じて日本で言語が伝わらない(フランス語がわからない)背景があると、字幕を追うのに必死になる情報量で、シンプルに画面で映っているものが追えないという難点がある。
また、その画面自体に、これまでのゴダールにある「スタイリッシュさ」が意図的に廃されている分、とっても退屈である。

「イメージ」と「言語」は、ゴダール作品において毎回毎回重要なモチーフであるが、イメージがイメージとしてボンヤリした映像が続くのが、映画としての鮮烈さに欠ける印象が強い。
加えて、あまりに毛沢東主義、毛沢東思想に傾倒するがあまりに、ゴダール自身にも、左翼思想への疲弊と、自滅的な自己矛盾が溢れてもいて、唐突に「東風の時代」を示していても、映画にはその「風は吹いていないじゃん」とツッコミを入れたくなる。
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