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哀しみのトリスターナのワンコのレビュー・感想・評価

哀しみのトリスターナ(1970年製作の映画)
4.0
【自由】

フランコ独裁末期のスペインのマドリードからほど近い古い街トレドが舞台だ。

カトリーヌ・ドヌーヴは、「昼顔」より、こちらの作品の方が気に入っていると話していたことが記録として残っている。

この作品は、トリスターナが足を切断せざるをえなくなることもあるが、脚フェチを思わせる場面が出てくる。ヒッチコックはこの脚フェチ表現を気に入っていたようだ。

谷崎潤一郎もいくつかの作品で脚フェチと言われたりするが、実は、この作品の脚はフェチというより、自由のメタファーではないのかと思う。

トリスターナは、16歳で母親を失い、貴族のプライドにしがみつき働くことを良しとしない老貴族ドン・ロペの養女になるが、ドン・ロペは、トリスターナを次第に女としてみなすようになり、愛情を注ごうとするが、トリスターナは次第に自我に目覚め、他の男を愛するようになり、駆け落ちをする。

ところが、病気でトリスターナはドン・ロペの元に結局帰ることになるが、脚を切断せざるを得なくなり、ドン・ロペと結婚し、“自由を放棄”せざるをえなくなったように見せて..。

ドン・ロペは一族の財産を相続し暮らし向きは改善するが、年老いて衰えが隠せなくなり、トリスターナは自由と財産を手に入れるのではないか..というところで映画は終わりとなる。

トリスターナという女性を通じて、自由が抑圧された状況だったフランコ独裁末期のスペインに重なる物語でもある。そして、偶然なのか、予感があったのか、フランコ独裁は、この数年後に終わりを迎える。

仮に片方の脚(自由)を失っても、片方が残っていれば、自由が完全に失われたわけではない。再び立ち上がり、自由を獲得することが出来るかもしれないと云ったメッセージも含んでいるような気がする。

また、舞台になったトレドは、エル・グレコの作品が有名だが、歴史的にはキリスト教徒やイスラム教が攻防した都市で、そんな背景も、この物語に奥行きを持たせているのではないかと感じさせる。
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