教授

大日本帝国の教授のレビュー・感想・評価

大日本帝国(1982年製作の映画)
-
東映製作による「オールスター」反戦映画という形ではあるが、アバンギャルドに感じるほど繊細な表現と、粗雑に感じる描写とで、非常に困惑する映画。

この手の超大作映画ともなれば3時間という尺については不可避とはいえど。
同じく舛田利雄監督も関わった「トラ・トラ・トラ」からの使い回しのフッテージの多用はゲンナリする。

作品テーマに大きく関わるので必要とは思えるけれど、それでも執拗な濡れ場については、関根恵子演じる美代ひとりに背負わされつつ、ボディ・ダブルであることも加えてイマイチ迫力に欠けてしまう。
同様に京子(マリア)役の夏目雅子の演技の可憐さは見事としても、二役の違和感は拭えない。

戦争に巻き込まれていく市井の人々と、昭和天皇であったり、東條英機(丹羽哲郎)を中心にした軍閥の戦争責任、また前線での将校たちの軽薄さなど、日本映画における戦争映画の常道ではあれど、詰め込み過ぎと思えるほどダイジェスト感が否めないとも言えるし、ステロタイプの域を出ない「浅さ」の方が目立っている。
基本的には戦地にいる人々が、どうにも肌艶や、見た目が綺麗過ぎるのも違和感を際立たせている。

しかし要所要所に限ってみれば、東條英機という主要人物を「戦争犯罪人」として断罪するのでなく、むしろ「忠節」の人として孤立無縁の奮闘をした人物として描こうとしていたり、市井の「個人」に対しては、やたらと狂気じみた軍人気質の大門(西郷輝彦)やインテリである江上(篠田三郎)が「天皇陛下万歳」と叫び戦争に取り込まれていく狂気などの描写に目を見張るものがある。

右派的思想の側からは左翼的に映り、左派的思想の側からは右翼的傾向の映画に映る多層性というのは小田島(三浦友和)が投降しようとした矢先にアメリカ兵のカップルを義憤のあまりに殺害するシーンなどにも、どちらの思想には振り切ることのできない、複雑さが忍ばされている。

それはまさに当時の東映の社長である岡田茂の「日本が勝ったとこだけ選んで繋いでくれ」というけったいな気質と、それを完全に無視した笠原和夫の脚本と戦中派としての考えを投影させた舛田利雄監督の意向によって捩れてしまった結果でもあるように思う。
しかし、その結果、珍妙ですらあるが、日本における「最後の戦争映画」の一本として独特な味わいの映画になっているのは間違いない。
教授

教授