グラマーエンジェル危機一髪

涙の船唄のグラマーエンジェル危機一髪のレビュー・感想・評価

涙の船唄(1920年製作の映画)
4.0
「涙の船唄」は初期キング・ヴィダー作品の中では「ラ・ボエーム」に次ぐ強度を湛えた、稀有なヒューマニズムに溢れた1作だが、興味深いのは1920年当時の雑誌が今作を紹介するにあたって、ここで形作られる隠遁老人、嵐で嵐で非業の死を遂げる女性が彼に託した1人息子、そして途中で現れる気のいい泥棒という疑似家族を“Queer family”と表現していることで、当時としてはシンプルに“奇妙な”という意味でこの言葉が使われたのだろうが、現在では性的マイノリティ/LGBTQを指す言葉として頻繁に使用されている訳で、この運命にヴィダー作品の新たな可能性、クィア的な可能性を見ることができるかもしれず、この意味で今作は“年を召したゲイカップルが子育てに奮闘する”作品としても解釈できるし、作品の最後で幸福を得た老人の姿を泥棒が涙ながらに遠くから眺める様はゲイロマンスの終わりなのであり、このこじつけを他のヴィダー作品に適用するなら「青春の美酒」の前半部はポリアモリーを謳歌する3人の男女を描きだした軽やかな青春劇であり「森の彼方に」はドラァグ・クイーン的な感性に裏打ちされた、悪としてのベティ・デイヴィスの際限なき魅力が爆裂するクィア・クラシックであり、ヴィダー作品は普遍的な強度を兼ね備える一方で、時代時代にまた別の解釈を喚起するしなやかさを持っていることを、今作に対し何となしに、しかし運命的に授けられた“Queer Family”という言葉を証明している一方、どの可能性も作品の最後には挫折させられてしまうのは時代の要請、時代の自己検閲なのだろうが、キング・ヴィダー自身はまだまだ可能性に開かれているだろう。「剣俠時代」や「薔薇は何故赤い」のような駄作は勘弁してほしいが。