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いぬのKuutaのレビュー・感想・評価

いぬ(1963年製作の映画)
4.3
扉の向こうは多元宇宙だ!

刑務所を出たばかりのモーリス(セルジュ・レジアニ)は、かつての仲間シリアン(ジャン=ポール・ベルモンド)と協力して強盗に入るが、情報が漏れており警察に追われる。密告者=「いぬ」は誰か?

実態の見えない他者がテーマとなる。「境界を越える」演出がとにかく素晴らしい。

光と影の合間にある地下道を歩く、モーリスのオープニングショットから鮮烈だ。他にも、
・手紙を書く、封をする。
・地面を掘る、埋める。
・引き出しを開ける、閉じる。
・受話器を取る、置く。
・電気を付ける、消す、などなど。

最大のポイントは、扉を使ったシーンの切り替えにあるだろう。

物語の影で暗躍するシリアンは、何度も扉を開ける。シーンを飛び越える度に、彼の虚像(彼は何者なのかという疑念)は更新されていく。

ギャングの事務所にシリアンが侵入するシーン、こんなに短時間に扉を開けまくる映画も珍しいのではないか。彼は変化する虚像を自在に操り、物語を引っ張っていく。

対照的に、モーリスはシリアンの動きについていけない。冒頭の逃走シーンや地下鉄で、彼は扉を上手く開けられない。刑務所に「閉じ込められた」間に起きた事件をきっかけに、金庫破りに失敗し、結局警察に開けてもらった牢屋に入る。

シーンが飛ぶ=虚像の更新の対比として、シリアンに対する警察の尋問は、カットを割らない。室内をぐるぐる回るカメラは10分近い長回しで彼を追い詰めていく。扉の先で虚像を更新させないため、警察署の扉はガラス張りになっている。

カットを割らない尋問がキャラクターの実像を浮かび上がらせるなら、切り返しは虚像同士のコミュニケーションと言えるだろう。

冒頭の盗品商の殺人は、一方的に撃たれてしまうカット割。事務所での1人目の殺人は撃つ側だけ見せ、ラストは撃たれる側だけを見せる。

どれも、非対称な切り返しを使い、見えない敵に暴力を向けざるを得ないギャングが破滅する姿を描いているように見える。撃たれた警官が落とす銃とラストの帽子は、全く同じカメラワークで悲劇を辿っている。

(事務所での2人目の殺人は、同じ画角で撃つ、撃たれる両者を撮っている。ここだけは対等な命のやり取り?)

シリアンがバーでギャングの女を口説くシーン。切り返しが繰り返されるし、ストーリー上はシリアンが彼女を利用しようとしただけに取れる一方、この場面だけは彼は本気だったようにも思える(13番の帽子を脱ぐ演出)。どこにも実像がない2人の関係、独りよがりなコミュニケーションは、電話を使って強調される。

シーンの省略によって「誰が犬なのか」というサスペンスを生む構成。終盤、「省略の支配者」であるシリアンが全体の種明かしをしてくれるが、ここからもう一捻り入るのが素晴らしい。

シーンを飛び越え、新たな虚像へ変化する途中、人は虚像でも実像でもない中途半端な姿になっているはず。

この、虚像を更新する時の不格好さをシリアンは隠せるからこそ優秀なのだが、彼も隙を見せる瞬間がある。それが「シリアンの顔が見えない」という描写。冒頭のモーリスの部屋への訪問、中盤の穴を掘るシーン。

省略と虚像の乱れ打ちで物語に勝利したように見えたシリアン。だがラストに訪れる3度目の「顔が見えない」シーンで、遂に綻びが現れる。彼の魔法は「省略できない男」モーリスの前で裏目に出てしまう。

先日、小津安二郎の「麦秋」のレビューで、日本家屋を固定画角で分断することについて触れたが、日本と西洋の建築様式の差が、コミュニケーションの描き方の違いになって現れているとも言える。

日本家屋は居間や奥間や廊下が一つの画角で撮れてしまうからこそ、小津は固定のローアングルを取り入れて擬似的な「個室」を作った、と私は理解している。麦秋では、個室を飛び越える食べ物の受け渡しとその終焉によって、「日本の家」という虚像が壊れる過程を描いていた。

一方、今作は何でも扉で分断されている西洋建築を舞台に、虚像を更新し続けるコミュニケーションを描いている。ラストでその失敗を示し、虚実の裂け目で不気味な存在が現れる。

(何度もこの例えを使って語彙の乏しさが悲しくなるが)ラストの顔の見えないシリアンは、現実と虚構の間にあるスクリーンそのもの。映画の中を巧みに生き抜いてきたシリアンが、最後に映画という制度にしっぺ返しを喰らう作品なんだと思う。

二回観たが、演出の細かさに驚く。シーンの省略の間を飛び回るシリアンの対比として、モーリスは実際に歩く、走る事が強調される。盗品商の家に着いた時や、地下鉄内では靴が意識的に映される。逮捕されるのも靴屋の前。

モーリスは割れた鏡を、シリアンは割れていない完璧な鏡を見る…という虚像へのスタンスの対比は初見でも気付けたが、伏線として「いぬ」も扉を開けたり、鏡を気にしたりするショットがちゃんと入っていたのには唸ってしまった。86点。
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