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香華 前後篇のgenarowlandsのレビュー・感想・評価

香華 前後篇(1964年製作の映画)
4.7
木下恵介監督、有吉佐和子原作。大河ドラマで1年かけて観たくなった。明治から昭和にかけての濃厚な女三代の半世紀だった。香り立つ花は力強く華麗に咲いた芸者の小牡丹(岡田茉莉子)ではなく、地味な三叉の花。思い人と出会えるという花言葉を作ったのは、女郎になった母(乙羽信子)が娘(岡田茉莉子)に託した人生の辻褄だったように思える。

祖母(田中絹代)と母(乙羽信子)の確執、娘(岡田茉莉子)と母(乙羽信子)の確執が激しく全面に出ながら、「家制度」に振り回された女が結びつないだ家族の絆を描いている。

祖母(田中絹代)の背景が一切語られなくても、狂人と言われてきた理由は容易に想像ができる。名家で(嫁いだのか婿養子だったかは不明)男児を産まなかったために、一族から非難され続け耐え、一人娘(乙羽信子)への愛憎と執着が激しく、娘の自由さが許せなかった。娘は険悪な家庭から逃れたかった。おそらく父は家におらず愛妾宅。娘は両親の愛を知らない。

娘(乙羽信子)は母(田中絹代)が狂人と言われていたことで離縁される。母(田中絹代)は自由奔放な娘(乙羽信子)から娘の産んだ孫の朋子(岡田茉莉子)を自分の思うように育てようと取り上げ家を継がせる。物語はここから始まり、愛を求め続けた女たちが時代の苦難を超えたくましく生き抜くさまを、めくるめく展開でダイナミックに繰り広げている。最初は『おしん』かと思った。驚くような展開が続き、長尺でもあきない。

女たちに繰り返す不幸を招いたのは「家制度」で、女に限らず男も縛られていたが、「家制度」から弾かれた女は道を踏み外し堕ちていった。いわゆる「キズモノ」となる。

母(乙羽信子)が女郎していたことで破談にされた娘朋子(岡田茉莉子)は

「お母さんは三度も結婚しているのに私は一回もできなかった。お母さんは三人も産んだのに私は一人も産んでいない」

と泣き叫ぶシーンは圧巻だった。

いくら家に縛られても女の幸せは多様になっていったはず。それなのに、どんな母であっても娘は「女の原型」として母を見る。繰り返してしまう。

神経質なまでに潔癖で滅私だった祖母(田中絹代)に育てられた孫(岡田茉莉子)もまた自分に厳しく自分をころして苦難を乗り越えていく。その間を母は蝶のように軽やかで傲慢で身勝手に自由に漂う。

朋子(岡田茉莉子)の苦難は凄まじかったが、何度でも立ち直る姿は天晴れだった。ヴィスコンティのネオレアリズモ作品『若者のすべて』のロッコ(アラン・ドロン)を思い出した。朋子はロッコのように穏やかでなく、なぜ私ばかりが!と激しい剣幕なのだが、目の前に次々と押し寄せる波のような難題に向き合い、怒りながら周囲の面倒を見て解決していく。滅私な朋子。大黒柱となった。

家制度に振り回され、「ふつうの女の幸せ」(があるかはわからないが)に憧れ続けた三代の女たち。繰り返される「ふつうの女の幸せ」探し。
朋子が連鎖を止められるかはラストに含みがあってゾワゾワした。


恋多き自由奔放な母(乙羽信子)は花言葉を知っていて、心に余裕のない娘(岡田茉莉子)に教える。

「吾亦紅は片思いよ」
「三又は思い人に出会えるのよ。あなたも会えるわよ」

 娘に気楽に恋するよう言うのだが、
三又の本当の花言葉は

「永遠の愛 または 肉親の絆」 。

春いちばんに咲く香りある花に託したのは離縁された夫への愛なのか、恵まれなかった両親の愛なのか。女三代の各々の愛なのか。

牡丹のように華やかな岡田茉莉子が主役だが、香り立つ色気と生々しさで乙羽信子の存在感が強烈に印象に残った。

岡田茉莉子の恋人は軍人の加藤剛。
乙羽信子の最後の恋人は実家の丁稚だった三木のり平。

木下恵介監督これまた素晴らしい作品をありがとうございます。

女三代、祖母、母、自分の人生も重ねて観ました。奔放と厳格は交互に現れるように思えます。

*Unextで観られます。借りていたのを忘れてUnextで観てしまいました💦
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