逃げるし恥だし役立たず

十三人の刺客の逃げるし恥だし役立たずのレビュー・感想・評価

十三人の刺客(2010年製作の映画)
3.5
幕府の密命をおびた十三人の刺客が、明石五十五万石の藩主を狙って参勤交代の途、中仙道の宿場を舞台にして三百騎超相手に凄まじい殺戮戦を展開する傑作娯楽時代劇。片岡千恵蔵主演、工藤栄一監督による集団抗争時代劇の傑作を役所広司主演、『クローズZERO』シリーズの三池崇史監督が現代風に再構築。稲垣吾郎、市村正親の他、山田孝之、伊勢谷友介ら豪華俳優陣が集結。
弘化元年、明石五十五万石藩主・松平斉韶(稲垣吾郎)は時の将軍は十二代家慶の異母弟であり、明年には老中になる身であるにもかかわらず、性格は異常かつ残忍にして好色、そのため参勤交代の行列も東海道を通れず、中仙道を利用せざるを得なかった。しかし、尾張領木曽上松において、陣屋詰の牧野靭負(九代目松本幸四郎)の一子、妥女(斎藤工)の妻・千世(谷村美月)に手を出し、妥女と千世の夫妻が自害する事件が起こり、明石藩江戸家老・間宮図書(内野聖陽)が老中・土井大炊頭利位(平幹二朗)の門前で藩主・斉韶の暴君ぶりを訴えて割腹し果てた。事態を憂慮した老中・土井大炊頭利位は、非常手段として公儀御目付役・島田新左衛門(役所広司)に斉韶暗殺を命じた。その日から新左衛門の知友であり徒目付組頭・倉氷左平太(松方弘樹)、三橋軍次郎(沢村一樹)、樋口源内(石垣佑磨)、甥である島田新六郎(山田孝之)、島田家食客の平山九十郎(伊原剛志)、平山の知人の浪人・佐原平蔵(古田新太)などの強者達十一人の協力者を集めて暗殺計画に没頭するが、此の暗殺計画を察知した明石藩御用人・鬼頭半兵衛(市村正親)が立ちはだかる。
原作(1963年)に比べて役者のスケールは小さくなったが、積み上がっていく死体三百体超に迫り出す巨大柵や大迫力の橋爆破などアクション映画としてのスケールは激増、達磨女や流血の雨や転がる生首など品性の欠片もないエロやグロも加わった、バイオレンスの巨匠・三池崇史による令和時代に誕生した本格時代劇風の超絶バイオレンス且つスペクタクル痛快娯楽時代劇。偏った日本観を持つクエンティン・タランティーノ氏どころか世界に胸を張って発信出来る現代のチャンバラのサムライ映画であり、時代劇を此れ程までに面白く撮れる事に正直舌を巻いた。
演者に武士の所作や佇まいが皆無の為に無駄な台詞が多く、殺陣の技量を持った人材が左程上手く無い松方弘樹(倉氷左平太)のみと云うのが玉に瑕だが、眉を落としてお歯黒をした既婚女性などの時代考証や市川正親(鬼頭半兵衛)・稲垣吾朗(松平斉韶)の魅力的な仇役、役所広司(島田新左衛門)を始めとする配役もハマっており、原作に忠実かつ丁寧な脚本も申し分なく、欠点を補って余りある魅力的な作品に仕上がっている。冒頭の芸術美の鮮やかさと序盤から観客の憎悪を集める松平斉韶(稲垣吾郎)が静的な陰鬱さを浮かび上がらせて、「小細工はこれまで!斬って斬って斬りまくれ!」の台詞から後半は一気に躍動して五十分に及ぶ大殺陣が始まる。十三人対三百人超と云う斬っても斬っても敵が沸いて出てくる圧倒的スケールに、多勢に無勢な状況で巡らせたトラップと使い捨ての大量の刀、暴力描写を極限的に極めた延々と続く殺戮の映像の破壊性、其れが大願成就後の静寂と朽ち落ちた建造物の残骸と死体の群の中で呆然と彷徨う島田新六郎(山田孝之)の虚しさを際立たせる。
人物描写を極力排除して登場人物を即物的に描いた上で台詞廻しすらも原作(1963年)を忠実に再現しており非の打ち所がないのだが、茂手木桜子と伊勢谷友介と吹石一恵の存在は余計であり、島田新左衛門が四肢切断された達磨女(茂手木桜子)の「みなごろし」に拘るあまり合戦のテーマが忠義に殉ずる武士の美徳から天下万民の為の戦に掏替わり、また武士でも無く山の民である木賀小弥太(伊勢谷友介)が最後には山の女ウパシ(吹石一恵)の元に帰る点から、内容が『七人の侍(1954年)』に近くなってしまっている。
不満を挙げるとすれば、伊勢谷友介と岸部一徳のシーンは不必要なコメディ要素であり、何故に作品として徹底的に硬派を貫かないのか理解し難く興趣が削がれる。また疾走する火の牛のCGには違和感しかなく失笑寸前で、いっその事、本当に火をつけて欲しいのだが…撮影後にスタッフで美味しく頂きましたとかで…