ひでG

ドイツ零年のひでGのレビュー・感想・評価

ドイツ零年(1948年製作の映画)
3.5
「戦火のかなた」のロッセリーニ監督作品。
厳しい現実をそのまま描き出す「ネオリアリズモ」
現実を誇張や劇的な演出を避け、そのままドキュメンタリー風に描く作風を指すとのこと。

確かに!ファーストシーンから戦後すぐの荒れ果てたベルリンの街をゆっくり記録映画のように見せる。

日本と同じ敗戦国であるドイツだが、焼け野原の日本とその風景がちょい違う。
木造家屋の日本は、何もなく平べったくなってしまうのに対して、ドイツの風景は、骨組みだけが無残に残る。
ちょうど広島の原爆ドームがたくさんある感じ。

主人公の少年が歩く背景として写る街並みは、何とも絶望感を漂わせる。
う〜!リアリズム!

「この世界の片隅で」を始め戦後すぐを描いた映画はいくつも観てきたつもりだが、ドイツのそれは、初めて知ることも多く、興味深かった。

冒頭にらこんなシーンがある。
役人風の男が少年の住むアパートに来て、
「先月は電気使用がオーバーしているから止める。」
それに対して、「ここには5世帯いるんです。許してください。タバコあげるから。」みたいな会話。

そうか、電力も水道も配給制だったのか。
同じ家屋に違う家族が住んでいるのか。

少年の家族に関する状況も印象深い。
父親は病床についていて、少年には兄と姉がいる。
しかし、配給キップは3人分。
なぜならば、元ナチの下部組織に属していた兄は戦後体制になり、逮捕されることを恐れて、地下に潜っている。
ちょうど【逆さアンネの日記状態】

だから、3人の配給で4人が生活しなくちゃいけない。しかも、2人は働けない。
当然12歳の少年も働き手として悲しい自覚をしなくてはいけない。

「僕が何とかするから!」
少年の純な気持ちも、荒れ果てた敗戦国では通じない。

共感されず、利用され、間違ったことを教え込まされ。

中盤出てくる少年の元教師は、これら【退廃した大人たち】の代表的な存在。

かなり不謹慎で、無責任な大人として描かれている。

しかし、作者の視点は、少年の周りの大人への個人的な攻撃とは少し違うのだと思う。

そこは、「火垂るの墓」の大人と同じだと思う。

戦争は、個人の良心や思いやりなど【心のあったかい部分をも消滅させてしまう】のだ。

「火垂るの墓」は、厳しい現実の中、残られた兄妹の助け合いが痛々しく表され、余計に切なく、悲しくなってくるけれど、

この「ドイツ零年」は、淡々と描き、さらに突っぱねた印象を受け、救いようのない絶望感に苛まれる。

戦争の記録としても風化させてはいけないんだろう。
ただ、映画として鑑賞するには、少ししんどいと思ってしまう自分がいたのも正直なところである。
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