マティス

情婦マノンのマティスのレビュー・感想・評価

情婦マノン(1948年製作の映画)
3.4
 この作品は、ファム・ファタルを描いた作品だ。いやファム・ファタルを描こうとした作品だった。

 アベ・プレヴォの小説「マノン・レスコー」を原作にして、18世紀の話を1940年代のフランスを舞台に作り直している。マルタ騎士団に入団するはずだったデ・グリュ青年は、レジスタンス活動に身を投じるロベールになり、修道女になるはずだったマノンは、ドイツ兵に身を売ったと疑われたマノンとして、そして、アメリカへの逃避行の末のマノンの死は、イスラエルへのそれと変えられている。1948年の作品だから、ごく最近の出来事になぞらえて共感を得ようとしたのだろうけど、残念ながら物足りなさを感じた。

 原作のマノンは、文学史上初めて現れたファム・ファタルと言われている。この作品でも、ロベールがマノンに寄せる純愛と、マノンが彼を振り回す様が描かれていたが、小説の印象があまりにも強烈すぎたので仕方がないが、中途半端なのだ。この作品のマノンは、せいぜい悪女と言ったぐらいで、ファム・ファタルとはとても言えない。マノンもロベールも、落ちていく様が想像の域を超えてなかった。

 ファム・ファタルは普通、「運命の女」とか「宿命の女」と言われることが多いが、フランス文学者の鹿島茂は、ファム・ファタルの定義を辞典を引いてこう説明している。
 「恋心を感じた男を破滅させるために、運命が送りとどけてきたかのような魅力を持つ女」。う~ん、なんと奥深い意味だろう。ファタルは、fateを語源にしているから運命でも良いのだけど、fatal つまり致命的、の方がもっとしっくりくる。
 そういう意味で「離愁」のアンナは、ジュリアンにとってファム・ファタルだったのかなと思うが、そうなるとロミオにとってのジュリエットもファム・ファタルになってしまう。それは違うだろう。

 純愛の末に命を失うだけでは不十分。男は純愛を全うするために望んで悪事に染まり、とことん落ちて行く、それでも後悔などしない。これでこそファム・ファタルの必要十分要件を満たすのだと思う。とことん深みにはまるには、始めはある程度の高みにいなくてはならない。そういう意味では、ファム・ファタルに魅入られる男も、選ばれた男でなくてはならない。ロベールは、この点でも物足りなかった。
 ファム・ファタルの怖さ、凄みは、男がそれと気づいてもその後の自分の行為に後悔しないところにあると思う。鹿島茂によると、男はすべてを投げ出してもそれで終わることはなく、マイナス無限大にするのがファム・ファタルだそうだ。

 作品の冒頭でマノンがドイツへの協力者と疑われ、街を引きずり回され危うく丸坊主にされそうになる場面があった。時々、当時の映像で同じような場面を見ることがある。ジュゼッペトルナトーレ監督の「マレーナ」にもあった。あの作品はハッピーエンドだった。

 原作の小説は大好きな小説だ。人を心底愛してしまうと、もう逃れようがない蟻地獄に陥ってしまったようなものだと気づかされる。それは愛の一面かも知れないけれど・・・。
 小説「椿姫」は、マルグリットの遺品整理の場面から始まるが、語り手が遺品の中に彼女への献辞が書かれた小説「マノン・レスコー」の本を見つけることが物語の発端だ。それだけでワクワクしてしまった。
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