つかれぐま

猿の惑星のつかれぐまのレビュー・感想・評価

猿の惑星(1968年製作の映画)
-
【猿は猿を殺さない】

子供の頃に観た本作はSF映画だったが、今観ると政治映画だった。アメリカ人=白人、そして人類の愚行録。

主人公テイラーは不時着した惑星を彷徨いの果てに、猿に捉えられる。このシーンが昔見たドラマ『ルーツ』の奴隷狩り@アフリカにそっくりで、ああこれは猿を当時のアメリカ人、ヒトをアフリカから連れてこられた黒人奴隷に見立てた風刺劇と分かる。

子供の頃はテイラーに感情移入してハラハラしたものだが、今観るとテイラーは結構嫌な奴だった。科学者でありながら、差別意識(嫌がるジーナとの別れのキスまで終始猿たちを見下していた)と暴力性がこびり付いた男を「ザ・白人俳優」とも言えるブロンドのチャールトン・ヘストンが演じるのも凄い皮肉な話だ。しかもヘストンは共和党支持の保守主義者だったのだから。閑話休題。

そして猿の社会にも分断がしっかり。主人公を理解しようとするチンパンジーが知能の高いユダヤ人、ゴリラが身体能力の高い黒人、そしてオランウータンが権力を握る白人。実際のオランウータンよりも体毛を金色に仕立ててブロンドの白人らしさを強調する。

オランウータンの中心であるザイアスは、テイラーが読み書きできることやチンパンジー夫妻の研究結果を否定し「知能の高い人間」の存在を隠蔽する。それは進化論を否定したキリスト原理主義の姿や、ハリウッドの赤狩りと重なる。狡猾なザイアスたちはそうやって自分らの権力を守りたい連中なのだなと思わせつつ映画は進む。

だが終盤になってザイアスが「人間の歴史を隠す」本当の理由があきらかになる。思えば本作の猿たちは、権力闘争こそすれど同胞に暴力は振るわない。猿は猿を殺さないのだ。同じ囚われた人間を殴り殺そうとしたテイラーの姿が、さぞ野蛮に見えただろう。ザイアスは「彼らの星」の不幸な歴史を知っている。かつての支配者が、その暴力性が原因で惑星そのものを死に至らしめたことを知っている。その悲劇を繰り返さないためにも、記録を隠蔽する。そうすることで自分の星を守りたかった、というのがザイアスたちの本当の思いだったのかも。

隠蔽する側にも事情がある。
ここまで踏み込んだ政治ドラマは、現代劇にもそうないのでは。