再見。ガブリエル・フィゲロアのカメラが禁欲的な洗礼場面を深刻化させるも、教会内の人物配置や二列並走する政府騎馬兵は完全にジョン・フォード、しかし彼の作品おいては100%晴らされる冤罪も本作では聖職者自体が罪人であるため、映画そのものが観客に問いかける(宗教色強めな)構造となっている。
確かにフォードらしい勢いも意図的に殺されていて、そこを評価すべきかが完全に個人評価に委ねられているのだが、グレアム・グリーンの原作にかなり手を加えたらしい話の中で映画はフォードからもグリーンからも乖離されて一人歩きしていく。
辛うじてフィゲロアの映画であるとは言えるだろうか、しかし結局ヘンリー・フォンダがそれを攫ってフォードの元へ返還している。自分の信じた正義の為ならば死をも恐れない、ここでの彼は紛れもなくジョン・フォード映画のヘンリー・フォンダだった。