運動して動悸が激しくなるのはポンプとしての機能に違いないけれど,
好きな人を思ってドキドキしたり, 胸がキュッとしめつけられるのはこれとは違う。
ー心臓に,「こころ」は宿るのか。
生まれつき心臓に疾患を抱えるアダム(スレーター)は, 医師から心臓移植をしなければ生きられないと宣告されるもこれを拒否して病院を抜け出し, 愛するキャロライン(トメイ)のもとへ向かう。
アダムが移植を拒むのは, キャロラインを愛する「こころ」を失うのが恐いから。それなら, 死んだ方がましと思うから。
'93年の作品。
景気の良かった'80年代では企画段階でボツになりそうな, 盛った装飾とは無縁のラブストーリー。
原題『untamed heart』は “飼い慣らされていない(アダムの)こころ” という意味でしょうか。
キャロラインが焼いてきたクッキー🍪を玄関先で秒で食べちゃう(笑)とこなんかは確かに野性味🦁を感じましたがww.
カナダと国境を接するミネアポリスの寒々とした空気感が, お金とか身分とかじゃない純粋なこころのふれあいに自然とフォーカスさせてくれるようでした。
身体が弱くて, 幼い頃から他者との交流・ふれあいを避けざるを得なかったアダムの “コミュ障” 気味なキャラクターが, 純粋なラブストーリーを支えるkey🗝️になっている作品。
人を愛する思いは, 時に思いもよらない力や勇気を奮い立たせます。
一見ストーカーまがいのアダムの行動は はた迷惑な己のエゴからというより,
育った環境から他者の気持ちを慮(おもんぱか)れないアダムの, 純粋過ぎるが故(ゆえ)の “飼い慣らされてないこころ” の表れ。
逆に言えば, 他者の思いを知る私たちは生きなきゃならない。愛し愛される人のためにも精一杯生きなきゃならないと, 本作は言いたいのかもしれません。
束の間の幸せから呆気なく訪れるラストは, 必然と分かっていてもやっぱり...グッとくるものがあります。
移植を懇願するキャロラインの「こころ」, その痛みはアダムには分からなかったかもしれないけれど, そこまでして守ろうとした思いの強さはきっと, ぽっかり空いてしまった彼女のこころを後ろ楯して支えてゆくのだろうと思います。