Kuuta

死刑執行人もまた死すのKuutaのレビュー・感想・評価

死刑執行人もまた死す(1943年製作の映画)
4.1
ストレートな反ナチス映画でありながら、ナチスを生んでしまう民衆の恐ろしさを同時に描いている傑作。

占領下のプラハ。地下組織は副総統ハイドリヒの暗殺に成功するが、ナチスは犯人逮捕までの間、無関係な400人の市民を人質に取り、処刑していく。

ハイドリヒが大部屋に現れるオープニング、目線による圧力で人が使役されること、目線が誰かに集中することが描かれる。

暗殺犯を偶然にも匿うことになるマーシャ。マーシャと暗殺犯が出会う街中の長回し、彼が家を訪れた時の衝撃、冒頭からぐいぐい引き込まれる。

父を人質に取られたマーシャは「事実」を伝えようとゲシュタポに向かうが、タクシーは無関係な方向に進み、飛び乗ってきた謎の男にそれは間違っていると止められる。タクシーから逃げ出したマーシャは市民の無数の目線に囲まれ、顔に傷を負う。

この場面をきっかけにアウトサイダーと化したマーシャの体には影がかかるようになる。「嘘と事実」を使い分けながら彼女は事件の中枢に関わっていく。

ゲシュタポの支配と市民の同調圧力、二重の目線に晒される中で事件がどこに転がっていくのか。ゲシュタポの執拗な尋問を出し抜く終盤は圧巻で、地下組織の連携だけでなく、無関係に思えた市民がそれぞれの役割を果たす。

なかなかビックリなエンドマークの出方も含め、ナチスによる有形無形の圧力に屈せず、自由という無形の意思を貫く美談と言える一方、終盤の展開はフリッツラングが様々な作品で題材にしてきたように、社会の敵とみなされた瞬間、無力化される個人の恐怖を浮き上がらせている。

マーシャは映画から姿を消し、代わりに新たな人物が視線に晒される。目線が向く「主役」が切り替わる瞬間を捉えた無音の主観ショット。次々に証言に現れる市民の姿が私としては一番怖かった。83点。
Kuuta

Kuuta