松井の天井直撃ホームラン

52ヘルツのクジラたちの松井の天井直撃ホームランのレビュー・感想・評価

52ヘルツのクジラたち(2024年製作の映画)
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☆☆☆☆

原作読了済み。

これは先日に観た『夜明けのすべて』と同様に、原作を補完した脚色部分で、「なるほど!そう来るか〜!」…と思わさせる、なかなかの脚色が秀逸な作品でした。

原作を読み始めた際に。中盤までに描かれていた主人公の過去の苦悩と共に、偶然に知り合った《少年》との出会いが。実は、お互いに発していた【周波数】が一致した事による必然の《52ヘルツ》だった…との辺りは、読みながら引き込まれて行きました。

この辺りの筆力は、流石に本屋大賞に選出されただけの内容だと思いました。
特に、主人公で有る《キナコ》が、《アンさん》とゆう《男性》と出会い、その苦悩を氷解して行く辺り。
…が、しかし。主悦とゆう〝 王子様 〟が現れ、《キナコ》はシンデレラとなり、、、と行った展開への移行は。如何にも、この後に起こるであろう〝 悲劇的な予感 〟 を感じさせ。この中盤辺りまでは一気に読み進めてしまった程でした。

映画は、そんな前半から中盤にあたる部分を一気に走り抜ける。
その為に、原作の前半から、中盤に至る《キナコ》が回想する。《アンさん》や《美晴》が、《キナコ》の発する【52ヘルツ】を、キャッチしてくれた時の楽しい想い出は。《主悦》によって、ドンドンと壊されて行く辛い記憶となり。映画本編では、後半に向けて少しずつ明らかになって行く展開へと改定されていました。

実は、原作の中盤辺りまでは↑で記した様に、とても面白く読んではいたのですが。それが後半にかけて少しずつ興味を失くして行ってしまったのでした。
(原作では)それは、《美晴》が再登場し。或る人探しを始める展開へとなるのですが。《少年》の名前が解らないから(原作では)「52」と呼び始めるのです。

元々原作では、直ぐにこの少年の名前は《愛=いとし》とゆう名前で有るのは描かれているのですが。原作では《キナコ》と《美晴》はずーっと「52」と呼び続けるのです。
この辺りから感じ始めた、ちょっとした違和感が。《少年》にとって、とても大事な人探し旅行の展開へと進んで行くに従い、その違和感が少しずつ拭えなくなってしまったのでした。

それだけに、映画本編では。原作の前半から中盤にあたる《キナコ》の〝 過去の出来事 〟を、後半部分へと移行させる事で、じっくりと描いて行くこの流れは。観ていて、とてもしっくりと来る展開に思えました。

何しろ、その流れによってはっきりと分かるのが。実はもう1人(孤独な)【52ヘルツ】を発していた人物が居た…とゆう事実。
それを、磁石のプラスとマイナスの様に。両極が惹きつけ合う事に繋がったのだ…と。
この辺りで何度もウルウルとさせられたのには、脚色の優秀さも勿論なのですが。何よりも、成島監督による演出力の力も大きかったのだと思えます。

とは言え。それによって、原作が描いていた《少年》の置かれた立場の弱さで有り。【児童虐待】や【育児放棄】と言った問題提起を示す部分が。(映画本編では)若干薄まってしまっている感が、少なからず有るのは、痛し痒しと行ったところでしようか。


出演者の中では何と言っても杉咲花の素晴らしさでしよう。
思えば、初めて『トイレのピエタ』を観た時に。「凄い子が現れた!」と思ったのでしたが。その後の成長力が、もうちょっと半端ない!
今日現在で、評判の高い『市子』は未見なんですが。明らかに、同世代の女優さんの中ては、頭1つ抜きん出ている気がします。

…と書き込みつつ、正直に言うと。思わず号泣してしまったのは余貴美子の演技でした。
原作では、この《アンさん》の母親にあたる人物像は、ほんの少ししか描かれてはいません。
そんな人物像を、映像化に於いて肉付けしているのですが。この余貴美子の存在感によって、《アンさん》と《キナコ》の間に訪れる悲劇が、何十倍にも増幅されていた…と感じられるのです。

ちょっと間違えてしまうと、単なる下世話な展開では有るのですが。余貴美子の深みの有る演技力によって、決して下世話にはならず。《キナコ》と《アンさん》との間に存在した【周波数の合致】
更には、それにより。一度ならず二度も失意の底に沈んでいた《キナコ》が。《愛》とゆう新たな【周波数】をキャッチした事で。3人による孤独な叫びは、強固なトライアングルの絆によって救われる、、、それをしっかりと描き切る。この成島監督の確かな演出力を始めとして、脚色で有り、編集のリズム感や撮影等、、、

「いい映画を作ろう!」

…とゆう、スタッフみんなの気持ちが、充分にスクリーンから伝わって来る。その素晴らしさ等に感動させられてしまったのだと思います。
(実際に、ベランダ等での静謐なカメラワークで有ったり…と。ファンタジー的な演出等は本当に良かった)


出演者についてもう少し。


育児放棄する母親役に西野七瀬。

『孤狼の血』の頃からこの手の悪女役をやる様になった印象。

ちょっと前にはこのポジションには【菜々緒】とゆうちょっと高い壁が有った。
その菜々緒が、最近ではその強めのキャラを封印しつつ有る現在。今こそ、このポジションでの存在感を上げておけば、単なる可愛子ちゃんキャラでは無く、息長く活躍出来る可能性が有ると思える。


志尊淳は見てる内に段々と〝 らしく 〟 見えて来た。
ググったら、以前にも似たような役を演じていたのだとか…成る程。


宮沢氷魚の演技は、この手の悪役タイプとしてはやや類型的だっただろうか。その辺りがちょっと残念。
(関係ないのだけれど、数年前の『流浪の月』での横浜流星はとても良かった)


原作を読みながら、村中のお祖母さん役に賠償美津子をイメージして読んでいたら。まさかの本人登場でビックリした。
やっぱりそう感じるキャラクターだよなあ〜…と。


ちょっと残念だったのは、このお祖母さんは(原作だと)もの凄い男勝りでガンガン悪口を言うお祖母さん。
勿論、悪気は無いのだけど、ついつい言ってしまうタイプの人。

その様に、原作に描かれていた雰囲気では。当初は、若者の意見は〝 聞く振り 〟をするだけ…な感じだったのだが。タバコに火をつけた瞬間、一瞬《少年=愛》が恐怖に怯える。それを瞬時に察する事で、全てを飲み込む人物に描かれていた。
それによって、元々村八分的な扱いを受けていた(気がしていた)《キナコ》の孤独な周波数の叫びが、このお祖母さんの存在で(この排他的な地域で)受け入れられる。
それくらいに重要な描写だと思っていただけに。そのタバコに火をつける描写は是非とも入れて欲しかったところ。
(まあ、無いモノねだりでは有りますが)


それともう1つ、残念だったのは。原作には存在していた、品城祖父の存在。
元学校の先生だけに、一見して人格者に見えながらも、本質的には下衆なクソオヤジ!
こちらも原作を読みながら、柄本明をイメージして読んでいました。
映画本編では完全にカットされていたのですが。ウサギの皮を被った悪魔の顔そのもので微妙にボケている…とゆう複雑なキャラクターを。柄本明ならば巧みに演じてくれたのでは?…と、ついつい想いを馳せてしまう。
(最早、柄本明と決め付けてますが💧)


2024年 3月17日 TOHOシネマズ西新井/スクリーン1