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キエフ裁判のギルドのレビュー・感想・評価

キエフ裁判(2022年製作の映画)
4.0
【正義に塗り替えられた蛮行、魂の証言で明るみになる】
■あらすじ
戦禍の蛮行を裁く、戦勝国による軍事裁判1946年1月、キエフ。
ナチ関係者15名が人道に対する罪で裁判にかけられる。

この「キエフ裁判」は、第二次世界大戦の独ソ戦で、ナチ・ドイツとその協力者によるユダヤ人虐殺など戦争犯罪の首謀者を断罪した国際軍事裁判である。
身代わりを申し出る母から無理やり幼子を奪いその場で射殺し、生きたまま子供たちの血を抜き焼き殺すという数々の残虐行為が明るみになる。
被告人弁論ではありがちな自己弁明に終始する者、仲間に罪を擦りつける者、やらなければ自らも殺されたと同情を得ようとする者と、その姿にハンナ・アーレントの<凡庸な悪>が露わになる。アウシュヴィッツやバビ・ヤールの生存者による未公開の証言も含み、「ニュルンベルク裁判」と「東京裁判」に並ぶ戦後最も重要な軍事裁判が現代に蘇る。

■みどころ
第二次世界大戦の独ソ戦で起こしたユダヤ人虐殺に加担したナチス関係者の国際軍事裁判に関するドキュメンタリー映画。
バビ・ヤールで語られなかったキエフ市の中央広場にて公開絞首刑を受けた15人のナチス関係者の国際軍事裁判をナチス関係者側の主張、ナチス関係者の蛮行を目撃した市民の証言の2つの目線で紐解いた作品と言える。

ナチス関係者は軍事裁判にて裁判官との受け答えをしていくが陳述の中で、罪を認める者もいれば一部は認めないけどまぁ概ね認めますよというスタンスの人が出てくる雲行きの怪しさから始まる。
そこからの陳述は
・「上官に報告して、上官の命令に基づいてやりました」
・「ついでに村の農作物やユダヤ人の貴重品もパクった”と部下から”聞いてます」
・「警察の力を使って食材パクってドイツに横流ししました」
・「コドラ村・ラスカ村に潜むパルチザンを殲滅するためにやりました」→「お前ちゃんと調べたの?女子供関係なくない?」→「なんか村人全員で襲ってきたし、女子供も殺せば村は確実に絶滅できるので殺しました」
…など、総統を含む上位の意向と現場でのあまりにも杜撰な判断、レイシズムに基づく蛮行が明るみになる。
やがて市民の目撃した証言からナチス関係者の筆舌に尽くし難い蛮行が明るみになり、判決前の陳述でも「ウクライナ人の悲しみをさっき知ったわ」「上官も責任負えや」「上官の命令に逆らったら殺されるからやった」などの弁明が起きるが…

本作はキエフ裁判の行末を通じて「群衆」から生まれる「凡庸な悪の根源は何から生まれるか?」を炙り出した作品である。
凡庸な悪の根源は選民意識と「自国の優秀さ・優位性」による圧力であり、雑で横暴で歯止めが効かないTOPの意向故に凡庸な悪が生まれる姿を鋭く描く。
結果的に蛮行も優位性を見せるための正義に塗り替えられて罷り通る所に怖さが詰まっているのだと感じました。

証言からくる惨殺の修羅具合はワン・ビン「死靈魂」の反右派闘争に近いテイストを思わせるが、この映画で提言される群衆が自国の正義の名の下に蛮行を正義と正当化して従わざるを得ない模様を描くのが特徴的だと思います。
それを示すのが判決前のナチス関係者ら陳述に現れて、そこに人間味が出てる気がする。

セルゲイ・ロズニツァ「粛清裁判」で取り扱った"産業党裁判”とは違う見せしめの形骸化した裁判とは違い、現場での蛮行を証言から現出する映画である。
が、同時に”群衆”の力関係を見せつける映画でもあり、そこが怖い映画だと感じました。
戦勝国の軍事裁判という兵器・軍事力とは別ベクトルの優位性を以て敵国の幹部を皆殺しにして、中央広場で見せしめのように絞首刑で殺す姿に群衆が集る。

この構図にこそ、力関係が”群衆の物量”というステータスで皮肉にも語られているのだなと感じました。
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