賽の河原

悪は存在しないの賽の河原のレビュー・感想・評価

悪は存在しない(2023年製作の映画)
5.0
濱口竜介監督の最新作『悪は存在しない』
とにかく面白すぎてヤバかったですね。なんかアカデミー賞とかカンヌとかヴェネツィア獲ってる監督なんで、「国際的に評価されてる巨匠」的な存在になりつつありますけどね。過去のフィルモグラフィ含めて観ると、暴論かましますけど、「外国人は濱口竜介作品の凄さなんて60%くらいしか分かってねーと思うぞ」って思いますよ。正直、濱口竜介作品の微妙なディテールとか演技や演出の素晴らしさは日本語話者が観ないと真の意味では分からないんじゃないかとさえ思う。
外国語映画でも素晴らしい作品ってゴマンとありますけど、濱口作品みたいなの観ちゃうと「俺らはほぼ分かっちゃいないんじゃないか?」って結構絶望しますよね。
心に突き刺さる、映画の神が舞い降りたとしか思えないシーンって、日本映画でこそ感じることが個人的には多くて。例えば最近だと『夜明けのすべて』の散髪シーンだとか『街の上で』の長回しとか、「マジで神が降りてるショットだなあ」「このディテールが分かる日本語話者で良かった」って思うんですけど、濱口竜介作品で毎回驚愕するのは映画のほぼ全てのショットで神が降り続けてることですよ。マジで面白くない瞬間がほとんどない。『DUNE』をdisるつもりはないんだけど、あの映画を「映画館で観るべき映画だ」っていうのは正直当たり前じゃないですか。それだけの予算とスペクタクルが分かりやすく起こってる。ところが濱口竜介作品ってほとんど分かりやすいスペクタクルなんて起きないし、スターが出ているわけでもないにも関わらず、映画館で観る価値が絶対にある。これは本当に凄いことですし事件ですよ。しかも過去のフィルモグラフィ含めてそれが「一回限りの奇跡」ではなく「再現性のある奇跡」として恐ろしい高打率で起こりつづけている。本当に世界の映画史は勿論、日本人としてこの日本映画史に毎回歴史的な傑作が生まれ続けている。同時代に濱口竜介の新作を観られることに感謝しなきゃいけませんね。#最高 #優勝
ぶっちゃけ濱口竜介って既に上でも述べたように国際的な評価も定まりつつあるし、『ドライブマイカー』あたりから「アカデミー賞?すげえな?」みたいなテンションで見始めた観客からすると、「なんでそんなにシネフィルとか評論家とか絶賛するわけ?」「なんかよく分かんない映画だったけどみんな絶賛してるしネガティブなこと言えねーよなー」みたいなめんどくささがあるのはむっちゃ同意できるんですけど、それはマジですまんとは思う。でもやっぱり過去のフィルモグラフィ含めて異常に際立ってるものがあるわけですよ。
じゃあそれってなんなの?って、これも100回述べてますけど、「映画というフィクションからリアルを描ける力」がスバ抜けてるって話ですよね。
もはや言及するのも何回目だよって話ですけど濱口作品の役者って明らかにフィクショナルなセリフ回しや違和感を帯びている。そもそも映画ってフィクションで、突き詰めると作り物なわけです。
ところが濱口作品ってフィクショナルな演技が他のどんな映画よりもリアリティを持つ瞬間が必ずあって、それが恐ろしくリアルなんですよね。本作で言えば説明会のシーン、そしてクルマのなかでの会話シーンが白眉、なんなら薪割りシーンも素晴らしいですけど、カメラを前に演技している人間のそれとは思われない瞬間が刻まれている。それが恐ろしくスリリングなんですよね。
でもそれも毎回のお家芸みたいになっているわけでは全然なくてね。例えば本作の説明会シークエンスや食事シーン。過去の作品から言えばこれは『PASSION』の本音ゲームのシーンや『ハッピーアワー』『寝ても覚めても』の食事シーンのような、何気ないシーンから人間の本質がどうしようもなく剥き出しになってえげつないことになることを濱口竜介オタクは期待してしまうわけですが、本作ではそれはしない。過去の作品に観られるスリリングさは当然含めつつも新しいことにもチャレンジしている。
本作で言えばそれは言うまでもなく衝撃的なラストですけれども、これ、本当に本当に正直に言えば、同じ脚本で凡百の監督が撮ったら多分俺、「えっ?」ってブチ切れると思うんですよ。それくらい衝撃的な、一見すると唐突で脈絡のないラストとエンディングになってる。言うまでもなくこんなことは過去の作品にはない。でも本作ではこれが成立していることが本当に驚き。なぜそれが成立するかってそこまでのストーリーでも安易な「理解」や「対立構造」を見事に突き放し続けてグレー(限りなく白に近い)な展開を積み重ねているからなんですよね。だからこそ『悪は存在しない』というタイトルにどうしようもなく揺さぶられるし、とてつもない余韻と衝撃を以て、非常に短いエンドクレジットの後に劇場が明るくなって、言葉にならないどよめきを観客は共有して終わるんですよ。
で、これって言うまでもないことですけど「ものすごい映画体験」「THE 映画」なわけですよね。今までだったら間違いなく5時間とか4時間の映画で撮られるべき作品を2時間未満でこれほど揺さぶってしまえる濱口竜介の才能は本当に途方もない。
なんなら『ハッピーアワー』みたいな(『ハッピーアワー』ですらあと2時間くらい観たかった)、完全版の『悪は存在しない』が観たいですけど、もはや映画作家としてそういう作品を撮っても、キャリアとしてあまり意味がない(間違いなく傑作にはなる)し、既にキャリアとしても劇場をそれだけ長い映画で占有すべきじゃないという自覚もあるのかもしれない、はたまた次作以降の創作意欲の中でそれをやりたいとも思えないのかもしれない。真意は濱口竜介のみぞ知ることですけれども、2時間程度の尺のなかで『偶然と想像』みたいなオムニバスでも、『ドライブマイカー』や『スパイの妻』『寝ても覚めても』のような原作モノでもない、全く新しい境地を切り拓いている点で、激賞する他ない傑作ですよね。
作品そのものよりも、作家の過去作との位置関係とかみたいな話に終始してしまいましたけれども、本編そのものもね、それまでなかった禍々しさを含むような不思議な子役づかい(子役を上手く撮れるのは映画撮影上手いマンの証明)であるとか、『ハッピーアワー』組の出演者の面白さだとか、濱口竜介のコンサル描写のエグさだとか(完全に悪は存在して草)、コロナ禍含めた現代の分断に一石を投じるリアリティだとか、語りどころは無限にあるし、なんならラストを把握した上で改めて再見したい部分もありますし、上映館の話とかも含めた作家の問題意識とかもありますけど、とにかくこれを映画館で観ないでどうするの?何を映画館で観るの?っていう。過去作含めてやはり現代の最重要映画作家なのは濱口竜介で間違いないですね。大優勝でした。渋谷か下北沢にマジで走れよっていう傑作でした。言うまでもなく現時点で今年ベストです。(おそらく塗り変わらない)
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