ワンコ

悪は存在しないのワンコのレビュー・感想・評価

悪は存在しない(2023年製作の映画)
5.0
【シリアスとユーモア】

きっと最後の場面は議論を呼ぶよなあって思う😁

「悪は存在しない」は、「善も存在しない」という逆説的とまでは言わないが、もうひとつの意味も含んでる気がする。

本当に自然の中で生きるとはそういうことだからだ。

ところで、Esquire誌が取り上げていた濱口竜介さんが影響を受けたとおっしゃていたエリック・ロメールの「木と市長と文化会館 または七つの偶然」で描かれる”ハコモノを作る”と、この「悪は存在しない」の”開発”が重なって似たようなオチがあるのかなんて勝手な先入観で観始めたが、とても良い意味で期待を裏切られた。

ただ、実は共通するところもある気がする。

(以下ネタバレ)

本当に自然の中で生きるのであれば、きっと…と云うか、絶対に善悪などないのだと思う。

グランピング事業者の住民説明会の発言で出てくる、自分たちも曖昧なところで生きているというような住民からの示唆もいろいろと考えさせられる。

蕎麦屋の奥さんの「ここの水が気に入って東京から越してきて、自分たちはこの土地の人間になれたのか、所詮東京から来た人間なのか、どんな人間なのか未だに定まらずにやっている。ただ、住民の人たちの協力があってやっていけてることは確かだ」というような発言はそうだ。

巧の「戦後の土地改革の煽りで住み始めた人間ばかりで、実はここの人たちは皆よそ者」というのもそうじゃないのか。

皆、自然の中で生きたいというより、実は何か目的があったり、どこかで抗うようにして生きているのであって、何が良いとか、何が悪いかというより、周りを見渡すように眺め、そして観察し、可能な限り調和し、時には対峙もし、持続可能性を考えながらやっているに過ぎないということじゃないのか。

キーとなるのは、東京の芸能事務所からやってきたグランピング事業の責任者だが、ありがちな人物で、発言や行動は、この自然は素晴らしいとか思いつきに支配されがちで、たとえ彼らにとっては本心であっても、地元の人たちにとってはあまり意味をなさない。

さて、もし「木と市長と文化会館 または七つの偶然」と共通点があるとすれば、それはユーモアのような気がする。

最後の場面。

花と手負の鹿🦌

巧は高橋を締め落とす。

巧がついつい約束の時間を忘れるのは、蕎麦屋の主人に指摘されるほどの悪いクセなのに、巧は、高橋たちが来たから花を迎えに行く時間を失念しちゃったんだと、それでこんなことになってしまったんだと、高橋に腹いせをしたに違いないのだ。
別に殺したわけじゃない。
そんな巧の為人(ひととなり)は、巧の家にあった家族写真からも想像することが出来るように思える。
花の母親が写っていたはずだ。
母親はこの土地が嫌なのか、巧の為人が問題なのか、きっと家を出て行ったのだ。

人とはそんなものだ。
自然に近いところで生きていれば、時計を見なくても時間通りなんてことはないのだ。
聖人君子なんてこともない。
動揺すればやって良いこと、ダメなことの判断さえもブレるのだ。

僕たちは自然の中でも、田舎と都会の線引きでも、常識的にとか、道徳とか、善悪の線引きでも、実は曖昧なところに生きているのだと思う。

僕はそう思う。
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