やべべっち

落下の解剖学のやべべっちのネタバレレビュー・内容・結末

落下の解剖学(2023年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

随分思っていたのと違うテーマの映画だった。この映画は人間関係の認知のずれ、すれ違いをテーマにしている。人間関係のすれ違いなんて良くある話で同僚や友達だったらすれ違ったらさっさと距離を置くのがベターだけど夫婦となればそうは言ってられないかも。

フランスの美しい片田舎で山小屋みたいな所で過ごす物書きを生業としている夫婦が住んでいる。そこに売れっ子側の奥さんに女子学生がインタビューをするシーンから始まる。このザンドラ・ヒューラー演じる奥さんがインタビュアーに逆に身のない質問返しをしたり、2階から大音量の音楽が旦那さんをかけたりして結局インタビューは中止してその女子学生を追い返すという無茶苦茶イライラするシーンが最初の数十分流れる。だがそのイライラ感が最後まで続くのがこの映画の特徴だ。

旦那さんが落下しそれが彼の自殺なのか奥さんによる他殺なのか?というミステリーから始まる。だがそこから巧妙に焦点がずらされていって旦那さんと奥さんの属性が明らかになっていく。子供は視覚障害者である事、それは事故によるものである事、それによって二人の精神や関係性が変わってきた事、旦那さんがフランス人で奥さんがドイツ人である事、仕事は同業で今は旦那さんより奥さんの方が売れっ子である事、奥さんは同性愛者でもあり過去に何度か浮気をしたことがある事。

それを憎ったらしい検事がいちいちチクチクと攻め立てて過去に恋人だったと思われる弁護士が冷静にひっくり返していく。ザンドラ・ヒューラーが善人とも悪人とも取れない絶妙な演技をするものだから旦那さんに肩入れしたくなったり奥さんに肩入れしたくもなっていく。当人同士の話だから当人同士でやればいいのだが何せ旦那の方は死人になっている。
そんな中で旦那さんが亡くなる一日前に撮影された夫婦喧嘩の一幕が圧巻だ。どちらにも言い分があり認知は食い違っている。自己の価値観や延長線上で相手を裁こうとするので延々と言い争いは終わらない。「結婚はどの地獄を選ぶかだよ」といった人がいてその言葉を思い出してしまった。夫婦って何だろう。この映画を観る一日前に受けた講義で「恋愛は相手を好きという気持ちだけでなく相手といる事によって良い自分を引き出されているかが大切」みたいな事を言われていて深いなあと思ったばかりだった。

人が人を裁く。人間性が未熟な時はとかく自分の視点で人を裁いたり裁かれたりする。分かってないのに決めつけられる、決めつけてきた。そこに人間関係の恐怖が常にある。それは夫婦や家族関係だけでない。それなりに生きてこれば何回となく遭遇する話だ。自分もそれなりに陰口を叩かれてきたし、誤解を受けてきたし、相手をよく知らずに決めつけてもいた。その罪は誰もが背負っているのではないだろうか。

この映画を見終わって言い様のない徒労感に襲われた。それは倒立ヨガクラスにビッチビチに扱かれた後に見た映画だったからなのか、長すぎる映画だったからなのか。(だがこの映画も徒労感も長さも計算ずくの脚本であるようにも思える)

人間の心ほどミステリーはない。だから客観的事実で判断できない場合は自分でこのダニエル少年のように状況を見て判断して進むしかない。心を決めていくしかないのだ。人が人を裁くという事に罪を感じそれを背負っていけば良いのだ。最後主人公の奥さんと子供がハグしている間もその不穏、不安感は拭えなかったし一人眠りにつくのを見て「人間てやっぱ一人だよな」と感じる。意外と人間は仮想敵と戦っている時間が長いのよ。それも現世の修行と思えば良いのかもしれない。そして今の自分の一つのテーマであったりもする。

その答えが今学んでいる体癖論だったりもする。多分サンドラ・ヒューラーは5種的な価値観を持っていて、旦那さんは6種なのかもね。そう考えれば何故すれ違っているかが立体的に見えてくる。

この映画の脚本は何と夫婦合作で夫婦にあったことを元に作成したそれこそ身を削った「フィクションに現実を投影した」血の滲むような作品だったらしい。そう思えばこの映画ってカップルや夫婦で見たら良い映画なのかもね。