Sasada

ミッシングのSasadaのレビュー・感想・評価

ミッシング(2024年製作の映画)
4.4
娘が失踪した両親と彼らを取材するテレビ局記者の姿を通して、果たして誰が何を”miss”したのかを問う。

実情を知らないくせに侮蔑の言葉をぶつけるのがインターネット上の人格だけではないことはメッセージを連打するその姿に明らかで、ネットを勢い付けるメディアのやり方は人をコンテンツとして扱ってしまう危うさをはらむ。「地味とか派手とか視聴率とか、テレビってなんなんですかね」の葛藤を抱えた記者たちは、数字と引き換えに生身の人間を傷つけることに折り合いをつけるしかない。

吉田恵輔という作家は、普段必死に隠している本音が覗く瞬間を焼き付け続けている。分かり合えていると思っていた人は急に「他人」になるし、死ぬことを望んでいた相手の意外な顔に動揺する。その瞬間の登場人物たちがとてもとてもドラマチックで、恐ろしさと少しの優しさが作品の中に同居する作り手だと思う。登場人物の日常を覗き見するようなカメラワークは生活感たっぷりの作風とマッチしていて良い。

傍目にはどこかめんどくさそうな父親が彼なりの努力をしていたり、終盤に明らかになる弟の過去と現在の振る舞いだったり。
「事実が大事」と言いながら1週間早い誕生日祝いを撮ること、何を映し何を映さないかの判断をすること、その特権性に気づいてゆく記者の葛藤もその一つで、彼なりの理想は掲げつつも「美羽ちゃんが助かること」に対する本音がチラリと覗くし、虎舞竜のくだりから透ける他人事感が最高に意地悪
(というかまさに私の心にも浮かんでいたし、観客が揺さぶられるスリルにヒヤリとする)

そんな中で転がり落ちていった末のコミュニケーションはもうお決まりのそれ。なぜ今更。もっと早くそれが言えていれば。もう遅いけど、でもこの先も彼らは/私たちは生きていく。そのために言わなきゃいけないこと。

子供放ってライブに行った母親が悪い論を、夫婦も含め誰も否定しないのがすげー気になったけど、それは意識的なのかな。
「私が楽しんでいる間にあの人は、、」に表情が歪むのは母親と、カトウシンスケ演じる弟の同僚。「哀れなるものたち」でヨルゴスランティモスが描いたあの共感のありようだと思った。関係薄めの同僚や印刷会社、はたまた同じ目にあった母親がサポートしに来てくれることが象徴するように、誰かの目線に立つ営みこそが暗く辛い物語を照らす光となり得るのだと。
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