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窓ぎわのトットちゃんのKuutaのレビュー・感想・評価

窓ぎわのトットちゃん(2023年製作の映画)
4.1
2023年のベスト10をコメント欄に載せました。

黒柳徹子が自ら出資して制作にも相当関わったそうで「黒柳徹子」が「製作委員会」と横並びでクレジットされている。

アメリカでストがあったり、テイラースウィフトが自分の望む上映方法を映画館に認めさせたり、作り手が自分の権利を確保して良いものを作るべき、という去年の映画の潮流に実はちゃんと乗っている。こういう作品ほど売れて欲しい。

一聴してわかる冒頭の黒柳徹子の声が、アウトサイダーとして描かれる少女が現実を生き抜いてきたことを示していて、序盤から涙腺うるうるでした。

・トモエ学園での生活は色とアクションに溢れている。戦争に突入すると、個人は色を失い、ちんどん屋に象徴される「かぶき者」は抑圧されていく。それでも子供たちの想像力が爆発し、日常を飛び越えるシーンが描かれる。いわさきちひろの絵がグネグネ動く場面もあるし、「雨に唄えば」のオマージュシーンは音楽を奪われた子供の抵抗という意味で「サウンドオブミュージック」的でもあった。

・終盤までは正直「なるほどよく出来てるなー」くらいのテンションだったのだが、クライマックスでトットちゃんが走る場面は、ちょっと度肝を抜かれた。

街を走り抜けるシンプルな場面ながら、生と死が反転し、死に向かうことが祝祭と化した異様な空気に、子供も大人も飲み込まれた社会を描いている。

トットちゃんは、ハシゴを引きずった場面で彼女の後ろに2本の線が引かれるように「自ら思う方向へ動く電車」として演出されている。しかしあの場面では、本物の電車が彼女を抜き去っていく。不可避な死の運命、止まらない社会の熱狂を「トットちゃんを追い抜く巨大な存在」が突きつけている。

二人三脚の運動会は一時の夢に過ぎない。自由の教室だった電車が、逆の意味を込めて冷たく描かれている。続く街中のシーンでも作画を変えず、トットちゃんが見てこなかった戦中の風景を淡々と切り取る。前半からの転調っぷりが恐ろしい。

この場面には高畑勲のような、無機質な絵が描ける生と死の転倒がある。両極に傾き得る怖さを突き付けられるからこそ「死を美化するのではなく、生を肯定する絵を描く意味」があるのだと思った。こんな真っ直ぐな気持ちにさせてくれた作品は久しぶりだ。

彼女は水たまりに反射した空に辿り着き(水は泰明ちゃんの象徴)、分裂してしまったもう一つの世界に向かって涙を流す。ラストシーン、トットちゃんの変わらぬ「窓際性」を示しつつ、彼女は子供を見守る立場に変わり、ちんどん屋の世界に飛び出すことなく、映画は幕を閉じる。

・反転描写で言うと、海ゆかばの使い方も上手い。海や山の幸を楽しむ子供の対比として、音楽が奪われた「国民食堂」に「天皇のために海や山の屍となっても後悔はない」と響く皮肉。

・背景を説明しないでガンガン進むので子供が見てもわかる作りになっている。お父さんの勤め先はN響の前身で、指揮者のローゼンシュトックはユダヤ系のため母国を追放されている、だから三国同盟に苦々しい表情をしている

・駅員のおじさんが散っていく桜の下に立つ。木に登ろうとしていた泰明ちゃんが、雨降る夜空を見上げる。この辺りも後から考えるとゾッとする演出。

・終盤までわりと冷静な気持ちで見ていたのは「実写の方が向いてる題材では?」との思いが拭えなかったからだ。合理性や同調圧力ありきの大人の世界に「ロジックを超えた会話」やアクションで抵抗する子供。この構図は記号の集積であるアニメよりも、生身の体で描いた方がいいのではと、見ながら考えていた。

(男女の体を区別なく描き、一緒にプールに入ることで泰明ちゃんが重力と社会的スティグマから解放されるシーンは、アニメならではでなるほどと思った)

児童文学であり、子供向け映画であり、私のよく行くシネコンが家族連れから高齢者までほぼ満席だったのを見ても、アニメ化で正解なのは間違いないが、このクオリティの実写化は出来ないものだろうか。作品の質とは別のところで妙なもどかしさを覚えてしまった。
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