イスケ

パスト ライブス/再会のイスケのネタバレレビュー・内容・結末

パスト ライブス/再会(2023年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

これ、二十歳の頃の自分が観たら、ただの平凡な作品に見えたんだろうなぁ。

感動の再会という劇的さは皆無で、平べったく物語が進んでいく。
自分の人生において縁を感じるような出来事をいくつか経験していない段階では、物語に内包されている繊細さに気づくことはできなかった気がする。

アーサーがとにかく物分かりに優れた人で、ヘソンは執着がやばくて、ノラは真顔が怖いw
個々に対する共感が深かったかと言えば、必ずしもそうではないのだけど、紡がれる物語……とりわけ「縁」と「現世での大人としての諦め」を考えさせられる全体像にはとてつもなく共感できた。


ヘソンにとってのノラは、実態はなくとも常に自分の中に存在した人。
既に異国で結婚をしている36歳のノラに、何故ヘソンが会いに行ったのかと言えば、諦めたかったからなのだろうと思う。
ノラに想いを伝えた上で、旦那に完敗を感じることで、ノラのいない人生へと一歩を踏み出したかったんじゃないかな。

ヘソンがノラへの想いの区切りの付け方に苦悩していた一方で、アーサーも「自分になくてヘソンにはあるもの」について思い悩む。

羨望や劣等感に似た感情が生まれてしまう彼の気持ちはとてもよく理解できた。
自分の彼女の前に「幼馴染なんだ」という男性が現れただけでも、どこか勝てない気がしてしまうもんな。

ましてや、ノラとヘソンには人生を股にかけた壮大なストーリーがある。
韓国語の夢の話だって理解したとて何にもならない。直接的にはどうだっていい話なのだけど、ヘソンという特別な存在を知った後では、ただの寝言がアイデンティティの膜のように感じてしまったんだろうね。

ドラマ性のない平凡さ。
届きそうで届かないアイデンティティの向こう側。


でも大切なのは、現世ではノラとアーサーが夫婦であり、誰もそれを乗り越えることはできなかったということですよね。

24歳の時のふたりはオンラインで毎日話すようにまで関係が復活していくものの、物理的な距離が障壁となる。
でも本当に物理的な距離の問題だったのか。もしくは当時のふたりを取り巻く状況の問題だったのだろうか。

自分にはそう見えない部分があったなぁ。
その気になれば、せめて数日間だけでも「自分から」会いに行くぐらいのことはできたはずですよ。

あれはお互いがお互いの気持ちをはかっていたんだろうなと感じた。

「来てほしい。でも来ない。相手はそこまでの想いではないのかも……」

どれか一つのボタンでも掛かっていたら……
またしても、届きそうで届かない。


タイミングによって人生は流れていく。
これはある程度長く生きていれば心から理解できます。

出会う順番が逆だったら違った人生になっていた可能性を想像してみたこともある。
そもそも、世界中の80億人すべてに会うことができたのならば、今隣にいる人が世界で一番相性の良い人のはずがない。もっと合う人が必ずどこかにいる。

でも、最も相性の良い人ではなく、出会えた人こそ大切な人なんですよね。出会いはすべて運命。あの人もこの人も彼も彼女も。巡り合わせって凄いなと思うことは多いよ。ノラとヘソンのような劇的な人生を送ってはいない人間であっても。

自分はスピリチュアルは全く信じないタチではあるけれど、パストライブスから繋がる縁を「袖が偶然触れる」と表現するのは美しい表現だなと思った。


ジャームッシュのミステリー・トレインよろしく、ノラが左に向かってヘソンと共に歩き、帰りには右へ向かって一人で歩きアーサーのもとへと帰る様子を平面で捉えるラストシークエンスがとても良かった。

メリーゴーランドのシーンも同様だけど、過去と現在、前世と現世を感じさせてくる演出がいちいち素晴らしいなと。そしてヘソンは未来へ縁を繋ぐんだ。

アーサーの元へと辿り着いたノラの涙はもらったな……
あの頃の泣き虫少女は、今もまだ存在してたんだね。

現世でのヘソンの想い、そしてノラ自身の未練を断ち切るためには、ヘソンの前で泣くわけにはいかなかったのだろう。
イスケ

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