ニコチンロイド

ゴジラ-1.0のニコチンロイドのネタバレレビュー・内容・結末

ゴジラ-1.0(2023年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます


今作、めっちゃめちゃゴジラが怖い。

今回のゴジラは、昨今問題のクマとか昔ながらの人食いザメ的な「明確に人を狙って襲ってくる」怖さが凄い。
特に木製のボロ船でゴジラから逃げるシークエンスは本当に怖かった。

さてそんなわけで怖い怖い、純粋に人間の敵たるゴジラ。
今作においての描かれ方は「戦争」という現象それ自体が実体を持ってしまったかのような悪夢的存在でもあるのが怖い。
それは主人公、敷島のトラウマの具象化でもあるわけで。敷島は第1作目のランボーに通じるようなキャラクターだなと感じました。
サバイバーズギルトとPTSDに悩まされ、悪夢に絶叫し慄く演技がとても良かったです。

他にも安藤サクラの演技が凄すぎるとか、銀座のシークエンスのライドアトラクション的な怖さとか、国会解散ビーム!とか、吉岡秀隆演じる野田いいよね…とか色々あるんですが、やっぱり今回の映画で一番心躍ったのはごめんなさい、震電です。

「絶体絶命のピンチに、唯一残された戦力が、実戦投入に間に合わなかった試作兵器」。
オタク〜〜〜!って感じで申し訳ないのですが、そりゃあ燃えますよ。

忍び寄る破滅を否認するだけの、戦時中と変わらぬ政府。
武器らしい武器もないのに自分でなんとかしなさいネーと知らん顔を決め込むGHQ。
そしてマジで物資も兵器もないし戦艦ですらゴジラには通用しないという現実を前に、「使えるものは何でも使ってとにかくあいつを葬らねばならん」とみんなが遮二無二やってる中、震電を飛ばす上で極めて個人的かつ精神的な理由のために「オメーは人の心がねえのか!?」と言いたくなるような手段をとってまで整備員・橘を探し出す敷島。

状況を現実的に考えれば必ずしも橘である必要はないどころか所在不明の人間を探している場合ではないのですが、敷島が「撃てなかった」過去の自分と、そしてそんな自分が招来してしまった(勿論実際にはそんな事はないわけですが、敷島の心情的にはそうでしょう)恐ろしい怪物、ゴジラ、すなわち心の中に巣食った戦争の悪夢を葬り去るためにも、あの震電を整備するのは橘でなければならなかったのでしょうね。 

かつて「死ぬために」零戦で飛ぶ事が出来なかった敷島が、守れなかった典子のために、そして明子が生きる未来を守るために、橘が整備した震電で、「生きるために」飛び立つ。
震電が、まるで零戦を前後逆にしたような形状の機体であることも、この場面にナラティブな意味を与えてくれています。
そのくらいこの映画は震電の映画と言っても過言ではないんじゃないか?
そもそも震電が映画に出るの自体初めてらしいですし。

まあ細かいことを言うともっと復興の描写が欲しかったとか、いくらなんでも政府出て来なさすぎじゃね?(シン・ゴジラに寄るのを避けるためなのでしょうが)とか、生きてたんかワレ!とか、最後の不穏さ何!?とか色々出てくるんですけど、僕にとってはとにかく敷島という人間のドラマと震電とゴジラの恐怖がすごく魅力的に噛み合っていて、そこだけでも5万点です。
素晴らしいゴジラ映画でした。ありがとう山崎貴。見直したぞ山崎貴。

ところで橋爪功さんが出ていませんでしたか?あれは幻覚ですか?

次回、巨大化した浜辺美波がゴジラを迎えうつ!
「ゴジラ-2.0」でお会いしましょう!