【寄り添い繋ぐ/音楽の力③】
※ 午前10時の映画祭リバイバル上映
僕の大好きな作品のひとつだ。
映画「愛と哀しみのボレロ」は、フランス、ロシア、ドイツ、アメリカと国・地域を超え、4つの家族が世代を跨ぎ、様々に交錯する物語を紡いだ作品だ。
そして、常に音楽が寄り添う。
この作品を初めて観た時に、音楽の力、特に寄り添ったり、人々を繋いだりする力を感じたし、また、もうひとつ、映画の可能性も感じた気がする。
2019年の「クレッシェンド 音楽の架け橋」は、この「愛と哀しみのボレロ」へのオマージュだと思った。
エンディングの場面、ガラスを隔ててパレスチナとイスラエルの若者がわだかまりを超えてオーケストラでラヴェルのボレロを演奏するのだ。
さて、この「愛と哀しみのボレロ」は、言わずと知れた実在の人物をモデルにした4人のアーティストが登場する。
実在の4人とは、指揮者カラヤン、「愛の讃歌」のエディット・ピアフ、グレン・ミラー・オーケストラを率いたグレン・ミラー、そして、バレエダンサーのヌレエフだ。
そして、今、この時代だからこそ、少し触れておきたいのはヌレエフについてだ。
アジア系、つまり、タタール系のロシア人で、ロシアではタタール系として迫害されていたと考えられる。映画の途中、大戦下の瓦礫の中でコサック・ダンスの場面があるが、ヌレエフの出自を思わせるところだ。
その後、自由を求めて亡命、イギリス、オーストリアでバレエダンサーとしての名声を確立し、晩年はパリでオペラ座のバレエ監督に就任し、後のコンテンポラリー・ダンスの大きな発展に寄与するウィリアム・フォーサイスを見出すなどしたのだ。
映画のエンディングの赤十字によるチャリティーの場面、あの踊りはバレエというよりコンテンポラリー・ダンスを思わせる。
映画「ダンサー・イン・パリ」で、バレエは上へ上へと向かう感じだが、コンテンポラリー・ダンスは下へ下へ大地を踏みしめる感じだと説明する場面があったが、そんなところからも、この最後のパフォーマンスや演出も改めてコンテンポラリー・ダンスのような気がするのだ。
僕の拙いレビューを読んでくださる皆さんに知って欲しいのは、今、紛争下にあるロシアもウクライナも世界的に著名な伝統のバレエ団を持ち、ガザ武装勢力と戦闘中のイスラエルは、世界のコンテンポラリー・ダンス芸術を牽引する国であるということだ。
この映画を改めて観て、これらの国々に科された運命の悪戯を感じざるを得ないが、同時に、再び音楽を通して彼らが向き合う時が来ることを祈りたくもなる。
そして、最後にどうしても考えなくてはならないのは、何度か時代を超えて登場する盲目のアコーディオン弾きについてだ。
彼は、見えているようで何も見えてない僕たちのメタファーかもしれない。
だが、今、仮に色々見えてなくても、耳を澄ませばきっと知ることが出来るというメッセージのような気にもなる。
この映画から感じる音楽の力と、映画表現の力が合わさった作品のように思う。
この機会に是非。