レインウォッチャー

百年の夢 デジタル・リマスター版のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

4.0
70年代前半、スロバキア(当時は解体前のチェコスロバキア)のある寒々しい山村に住む老人たちと対話する。
インタビューに写真のスライドショーを交えながら進行するが、たまに演出を思わせる映像も差し込まれたりして、純ドキュメンタリーというよりは映像詩的な側面も含む印象。

あるいはそれは、相対する人々の姿、声、生があまりにも「詩」だからだろうか。
それぞれ違う文様で刻まれた古木のような皺、そしてとにかくみんな歯がない!逆にその数本はなぜそこに残ったの…?しかし仙人などと呼ぶには、この歳になろうとも人間の「俗」を離れ切らないこの感じ。

彼らの多くは掘っ建ての納屋のような場所で、犬猫や家畜と共に暮らす。家族ととうに死に別れたとか、何かやらかして追い出されてそのまま、とか色々な理由で孤独な人が多い。妙に凝った工作趣味、従軍の思い出、突然始まる宇宙の話。
ここには、人生の機微…なんていう言葉ではとてもとても及ばない極地がある。わたしなんぞなーんにも知らんかったのだな、ってあらためて自覚させられる。だってこの人たちですら、人生で最も尊いことは?という質問に「わからん」「知らん」と悩むのだから。

それでも半生を語り、取り巻く世界との関わり方を語り、何か意味があるはずと笑う。そして、皆がそれぞれの歌(地方の民謡か童歌的なものか)を持っていて、手回しレコードのような声でやおら歌い出す。
そうか、この人たちも歌を歌うんだ…というようやく見つけた共感に、謎の感動を覚えたりもするのだ。

今作はそんな彼らを殊更悲壮なものとして見せて煽ったりしないし、もちろん安易に賛美したりもしていない。彼らは、人種・性別・何かの数字、といった、わたしたちの「現代」が持つ筈の尺度を超えたところで、ただ生きている。

今作は当時の共産主義政権のもと、体裁のためか長らく国外上映が禁じられていたそう。革命前夜の'88年に解禁されたということだが、気になるのはこの土地の現在だ。果たして、彼らに時代の眼と手は及んだのだろうか?
イデオロギーなど役に立たないこのような場所は、特異点に見えて実は世界中に点在していたのだろう…と気づく。きっと今も、思ったよりずっと近くに。

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撮影協力としてヤン・シュヴァンクマイエルの名前!

たまに何それ?と言うしかない音の乗せ方やズームの使い方が珍妙炸裂し、リアリティラインをリセットしてくる。ちょっとは「汁」隠しなさいよ。椎茸じゃないんだから。(好き)