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ミスター・ランズベルギスのギルドのレビュー・感想・評価

ミスター・ランズベルギス(2021年製作の映画)
4.7
【現代への激励を込めた「群衆」の進化】
■あらすじ
ピアニストで国立音楽院の教授のヴィータウタス・ランズベルギスは、祖国リトアニアの主権とソ連邦からの独立を訴える政治組織サユディス(=運動の意味)の指導者となる。
1990年3月11日の第一回リトアニア最高会議で議⻑に選出され、同日、ソ連に対して独立を宣言するとゴルバチョフとの対立が表立って激化する̶̶ 独立の気運を高めた連帯“バルトの道”、経済封鎖による物価上昇と社会の混乱、国内共産党との確執、首都ヴィリニュスでのソ連軍による軍事パレードから事実上ペレストロイカの終焉を世界に告げることとなったヴィリニュスの軍事占拠“血の日曜日事件”などと、1980 年後半から91年9月のリトアニア独立にかけて起きた歴史的な出来事を当時のニュース映像などのアーカイヴフッテージを交えながらランズベルギス氏が語る。

■みどころ
凄く良かった!
バビ・ヤールの「侵略」話と対になるリトアニア独立とそれを阻止するソ連との経緯のお話。
アーカイブ映像と随所にランズベルギス氏のインタビューが挿話される極めてシンプルな構成で展開されていく。

バビ・ヤールがバラバラな映像、文書などをサンプリングして「暴力と侵略」が綿密に循環する事を示唆する「技の1号」だとすれば、本作はシンプルな構成で徐々に積み上げていき「暴力と侵略に対して非暴力で解決できる」という希望をストレートに描く「力の2号」という対になる存在だと感じました。
そのくらい構成や展開が対になる作品で、この2作をセットで鑑賞する事で「侵略と独立」とが循環していき、現代のロシアとウクライナ問題に直結していく本質が揺るがない姿を見せる意義のある作品であると感じました。

本作はソ連側から政策として掲げた「ペレストロイカ」(自由)と「グラスノチ」(情報公開)に基づき、リトアニアで自治権を確立する目標で立ち上げた「サユディス」を歓迎するゴルバチョフ氏からスタートする。
そこからリトアニアは提案・相談する形で独立していきたいという想いを伝えるも、モスクワで行われた人民代議員大会でランズベルギス氏が演説したリトアニア主権と秘密議定書の存在から事態がおかしくなっていく。
ソ連側は「秘密議定書?原本ねーんだけどw」と何故かはぐらかしてくるわ、リトアニアにゴルバチョフ氏が来国して「俺らソ連がなんとかするから安心してくれや、な?」と言う割にリトアニア「親父、独立したいっす!」→ゴルバチョフ氏ムッとする となる。
挙句の果てにはソ連「なんかリトアニア独立したい言ってるけど法的に無効な」と一方的に言って、その約1週間後にはリトアニア首都のヴィリニュスにカチコミをかける始末である。

この時点で「秘密議定書の原本見つからねーから無効なw、とごねるソ連ヤバすぎるんだけど草」とか「俺らの国の決議を外野が文句たらたらなのおかしくね?」とランズベルギス氏はソ連のおかしさを指摘。
「ペレストロイカ」「グラスノチ」に対する「本音と建前」、「スターリン時代から存在する侵略行為に二枚舌を使う狡猾さ」が存在する事を本作前半で露呈するのだ。

そして本作はインターミッションを迎えた後に、ヴィリニュスにカチコミかけるソ連からスタートしていき、リトアニアVSソ連の構図で展開されていく。

後半では粛清裁判と同じように群衆・歴史の変遷とランズベルギス氏のインタビューが交互で映されるが、ここから本作の持つ「群衆」の描き方が素晴らしい。
ロズニツァ作品では「群衆」をキーアイテムに物語を語るが、今までは「プロパガンダに飲まれるステレオタイプ」、「過去に存在する群衆と現在の群衆の対比を描く」という記号で描かれる事が多い。
しかし本作の群衆は「ランズベルギス氏の意向・願いが非暴力(歌)の形でトップダウンしていく」姿を強調していく。
結果的に本作の群衆には記号ではない「事態を良くしていく意思」に変遷し、ソ連当局に抗う姿に進化しているのだ。
ここに本作の魅力が詰まっており、前半のランズベルギス氏とソ連・ゴルバチョフ氏との不穏なやり取りから後半へ進むにつれて「記号」だった群衆が「力・意思」という一枚岩に変わる「希望」を明示していてそこが素晴らしかったです。

去年に鑑賞したフレデリック・ワイズマン「ボストン市庁舎」に近いベクトルを感じました。
ボストン市庁舎ではウォルシュ市長の「困ったら俺が助けるから支給電話・メールしてくれや」という意思がトップダウンで職員に伝播し、ボストン市で起こる様々な問題を解決していったりウォルシュ市長が直々に現場へ行って市民と対話しながら解決する意思を強調していく。
そこには「対話と解決」という意思が存在し、ボストン市の風景を交互に映す形でウォルシュ市長の意思がトップダウンで伝播していく姿を表現しているが本作もウォルシュ市長的な意思を「リトアニア独立」というスケールの広さで伝えているのだ。

話がストレートだからこそソ連当局の二枚舌のような戦術とそれに抗う非暴力かつ自国は自分らで守り抜く意思を強調している。
そしてランズベルギス氏の意思が宿っている事を「歌」という非暴力で強調し、血の日曜日事件での最前線でリトアニア市民がバリケードを展開する一方でリトアニア国歌を斉唱する姿で独立をもぎ取るのだ。
この姿は今のウクライナと照らし合わされるような存在で、「侵略に対して群衆は最前線で抗うし、暴力以外の道筋で解決できる」という「希望」を明示していて強く感銘しました。


個人的には編集の凄みはバビ・ヤールのほうが軍配が上がるけど、本作の群衆に意思を感じさせるアーカイブ映像の編集力は素晴らしかったです。
特に国葬・粛清裁判→バビ・ヤール→ミスター・ランズベルギスで群衆の存在が記号から1つの力に変わってる「進化」が良いなと思いました。
もちろん、国ごとの土着的な部分もあるかもしれんが作品を重ねるにつれて存在感を強めている気がする。

今年は「ドンバス」「バビ・ヤール」「ミスター・ランズベルギス」と毛色の違う素晴らしい映画を3つ鑑賞できて、ロズニツァ作品の凄み・恐ろしさを体験できて良かったです。
来年には「新生ロシア1991(原題:The Event)」や「The Kiev Trial」も上映されるし来年ベネツィア国際映画祭に出品予定の「Invasion」がどう評価されるか?も楽しみです。

今後のロズニツァ監督の行く末に期待したい、そんな作品でした。
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