小枝

すずめの戸締まりの小枝のレビュー・感想・評価

すずめの戸締まり(2022年製作の映画)
2.0
なにこれ…最近観た中では『君たちはどう生きるか』を大きく下回る試聴後の絶望…後悔…なにこれ…どゆこと?

まず、登場人物に誰一人として明確なバックグラウンドの提示がない。ファミレス行ったらお冷のピッチャーだけ出されてコップがどこにもないような感覚。感情移入の容器がない。主人公のすずめに少しだけ「幼い頃に母を亡くしている」という共感ポイントがあるけどそれも旅の途中で順次明かされていくから序盤は誰に共感しながら見ればいいか分からない。ただ単にデカい黒いネズミを鎮めるファンタジーを観てるようで、絶対そんな訳ないんだから、はやく主人公の行動原理を提示して欲しかった。また宮崎で最初の扉を閉めるくだりは急にやりすぎ。彼女の生活や性格や頭の良さなどなにも分からないのにいきなり土壇場を見せられてもシーンの説明力がない。すずめは日常にどんな退屈を感じているのか理解させる気や説明が全くなく、ただただ新海誠の妄想を見せつけられている気がした。

道中、各土地で先住民に助けられて友達になっていくんだけど、なぜか出会いが誇張して描かれていて、そんな友達いない設定とかあったっけ?となった。各土地で一個ずつアイテム(洋服)を集める要素もあるのかな?と思っていたらそんなこともなく、なんだったんだ…?

閉じ師の説明が不十分だと感じると共に、特にダイジンの説明が全くないのはかなり好きじゃない。ただただキュートシンボルにしたいなら設定を盛りすぎだし、設定が深いことは明白なのに中身が分からない。すずめはダイジンを神様みたいなものって言ってたけど多分どっちかというと人類側の存在だと思うなーと思って見てた。私は映画に対してずっと言っているけど、劇中で説明がない設定が重要設定であるケースの映画が嫌いなんですよね。その設定ちゃんと提示したほうが初見の段階でもっとちゃんと面白いですよね?と。2時間も拘束しといて追加で考察見ないと理解できない映画ってなに?舐めてんのか?本気の映画ファンは分かんなかったし考察見て2回目見よーとはなんない。箸にも棒にもかからん会話劇と中身のない設定だったなーで終わる。1発目のインパクト、初めて見た時にどれだけ強く殴られるかで勝負してるドMなんだからこっちは。ちゃんと映画作って欲しい。

そもそも裏設定を忌避している訳では断じてなくて、むしろこう劇中で出てきたものに実は名前がありまして…みたいな裏設定は大好物なんですよね。でも今作はそういうレベルのものじゃなく知識がいる。例えばダイジンの役割や人身御供の在り方なんかはある程度の歴史の知識と直感がいる訳で見てるだけじゃ分からん訳ですよ。ここら辺ちゃんと説明しないと“ただ可愛い猫が逃げている”という薄い印象になるし、ダイジンの身の上が示されないので魅力が半減するんですよね。何回も言うけど本当ちゃんと生い立ちや感情の吐露が上手くないと、鑑賞中はこちらの予想で設定を埋めるしかなくて、それって本当に合ってるか分からないからハマらないピースをハメようとしてるみたいで不快なんですよね。多分ダイジンは幼子のイメージだと思うし言葉が拙いの仕方ないかなと思うけど、それでも拙いながら彼女の口から要石についての事実や感想が欲しかった。ふわっとした昔話じゃなくてちゃんと過去回想を挟めよと。喋りが下手な人の話聞いてるみたいでずっと落ち着かない。ちゃんと説明があって次の展開でなにを目標にしていくのかをちゃんと提示していくほうが良かったよ絶対。世界を回ってミミズを沈めましょうねは女子高生がチャレンジするには動機が弱いって。挙げ句の果てにサダイジンとかいう反対側のやつも現世に出てくるしもう設定が滅茶苦茶じゃん。

後はなに?芹澤のエロさか。いやいやいや芹澤あああ?!なんやこいつ!懐メロ好きで天井の閉まらないオープンカー転がしてるタッパのデカい大学生えっっっっろとなったのは自分でも面白かった。ただ芹澤がルージュの伝言を鳴らしたのは千と千尋っぽさを魔女宅で上書きしたかったのかなと邪推してしまった。序盤の構成がかなり千と千尋っぽかったので。

あのー廃墟があってさ…最初の宮崎のね、誰も居ない近づかないなんてあり得るかな…?絶対誰かしらいると思うんだよねあんな面白そうな所。

岡田斗司夫の動画を見に行ったら「すずめの体力が無限」と言っていて飲んでるお茶吹き出しそうだった。確かに笑
小枝

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