今村昌平監督『女衒 ZEGEN』(1987)
七転八倒しながらもオクニのためにたたかう男ー
伊平治(緒形拳)の純粋かつ思想的にポンコツであることが、明治期のアジア進出のダイナミズムを奇しくもあらわ>>続きを読む
ヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』(2023)
TOHOシネマズ 立川立飛にて鑑賞。
清掃、自然、光、本、音楽、温泉、人ーと織り成す男の世界は完成されていて、熟した面に宿る微笑は>>続きを読む
ミヒャエル・ハネケ監督『ピアニスト』(2001)
"指導"を通じて歪んでいくフェティシズム。
制御不能の凶暴な性愛の旋律にのみこまれていく。
確実な痛みによってのみ取り戻す自分という意識。
F>>続きを読む
オリヴィエ・アサイヤス監督『冬時間のパリ』(2018)
哲学、政治、恋、小説、SNSを通した"言葉"の推移が現代的な"団欒"を形成してゆく。
言葉による感情の契約は可能なのかー
理論によってはお>>続きを読む
是枝裕和監督『真実』(2019)
映画と現実を交錯する時間の中で、
親子のほつれを縫いあわせていく。
過去の清算ではなく、そうであったことをそうであったと、語り合うその時間を静かに過ごしてくこと>>続きを読む
黒澤明監督『夢』(1990)
あの世への地続きによる交信
死ぬことはめでたいことー
この世的な価値観がやや反転しつつある微睡を寓話的に過ごしていく
まとまった空っぽのできごとさえ、夢であるが故に>>続きを読む
大島渚監督『愛のコリーダ』(1976)
愛欲の果てにある虚しさ。
人間の動物としての極限を揺蕩う女ー
それら全てを薄気味わるく笑い続けた男の抱擁と人生そのものへの生々しく決定的な挫折。
The>>続きを読む
神代辰巳監督『もどり川』(1983)
歌人という器を通して発揮される大正の退廃美=デカダンス。
大正ロマンの別の側面には、第一次世界大戦による好景気の終焉、関東大震災朝鮮人虐殺事件、無政府主義の中>>続きを読む
イ・チャンドン『ペパーミント・キャンディー』(1999)
走馬灯には理想的な日々が映るのではなく、
ただ淡々と自分が"やったこと"の事実のみが白日のもとにさらされる。
時代に、社会に、欲望に流され>>続きを読む
ルーカス・ドン監督『CLOSE/クロース』(2022)
一番近かったからこそ話せなかったこと。
言えなかったこと、伝えられなかったことー
「言葉にすることが大事」と学校の先生には教わった。
でも、>>続きを読む
鈴木清順監督『悲愁物語』(1977)
鈴木清順の監督復帰作品。
成功した者に降り注がれる主婦"族"による驚異的な嫉妬。
助け合うはずのコミュニティによって引き摺りおろされる個人の無念さ。
Se>>続きを読む
アキ・カウリスマキ監督『枯れ葉』(2023)
ユーロスペースにて鑑賞。
最高!
…最高
最高…
(この上ないのでもはや言葉は必要ないかなと)
The best!
...the best>>続きを読む
サミュエル・A・テイラー監督
フレッド・ニューメイヤー監督
『ロイドの要人無用』(1923)
やること、なすこと、すべて裏目に出る。
すると、全く思いもしなかった領域に飛び出し、人や鳩を驚かせる。>>続きを読む
清水宏監督『女と按摩』(1938)
目が見えない故に触れることで知覚してゆく世界にも、
同じような間違いも愛も存在している。
人がひとりひとりと振り返りながら去っていく。
その振り返りは目が見え>>続きを読む
鈴木清順監督『肉体の門』(1964)
戦後の混沌を生き抜くために、
売春を選択した女達の生き様。
その果てにある純愛は絶望を意味し、
それでもなお「こんな女に誰がした」と歌われる歌とヤケ酒による酩>>続きを読む
ロベルト・ヴィーネ監督『ガリガリ博士』(1920)
妄想のなかの幻惑。
多重に重なる"フィクション"の中で、
眠り続ける男の夢が本当らしくさざめき始める。
A delusion within >>続きを読む
デヴィッド・クローネンバーグ監督『クラッシュ』(1996)
衝突によるオルガスムス。
快楽の極限は破滅とともにある。
欲望の達成が「死」を意味する偏った世界観によって、現実の事故の悲劇性が霧散し>>続きを読む
ゲオルグ・ヴィルヘルム・パプスト監督『パンドラの箱』(1929)
ルル(ルイーズ・ブルックス)の底知れぬ謎の魅惑。
彼女の流転の一生を「死」によって射止める者。
ー切り裂きジャック
"娼婦"とい>>続きを読む
青山真治監督『EM/エンバーミング(1999)
死への徹底的な抵抗は、生けるものの執念。
肉体の残滓はバラバラの過去を語り、
決定的なまとまりのある「死」を待ち続けているよう。
Thoroug>>続きを読む
深田晃司監督『LOVE LIFE』(2022)
愛に対する責任を果たすこと。
誠意を尽くすこと。
失った存在が大きければ大きいほど、その空白を埋めるために"努める"が、それをやめる。そして忘れない>>続きを読む
F・W・ムルナウ『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)
のちにヴェルナー・ヘルツォーク監督によるリメイク(『ノスフェラトゥ』)される吸血鬼映画の大作。
時代の"恐怖"の象徴。
陰影が物語全体を不気>>続きを読む
F・W・ムルナウ監督『最後の人』(1924)
"変装"による栄誉の奪還。
〜らしく、〜らしさを逆手に、
階級社会を這い上がる。
Reclaiming honor through "disgui>>続きを読む
青山真治監督『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(2005)
音楽が病気の治癒という機能をもつとき、
全ての頂点に音楽が君臨する。
"生きたい"と願う魂、否、脳の分泌液を掻き出すような音が草原、海、風>>続きを読む
武内英樹監督『翔んで埼玉』(2018)
猛烈な出自コンプレックスによる武装化。
"戦闘"の起源がここにある。
役者の華麗なるむだづかい。
Armed with a fierce origin >>続きを読む
エドワード・セジウィック監督『キートンのカメラマン』(1928)
企みが全部裏目に出ながら、
それ相応の結果を受け取っていく。
小さい猿👏
(死人が出ているのではないかと勘繰ってしまうほどの撮>>続きを読む
ホン・サンス監督『気まぐれな唇』(2002)
"気分"によって変動する嗜好の無責任さ。
その絶頂に儚い愛がやどるが、
どちらかが去らなければならない運命を強い雨がうつ。
The irrespo>>続きを読む
キム・ギドク監督『嘆きのピエタ』(2012)
荒廃した街に巣食う人間の極限。
男が放つ"純粋な"邪気は単調な悪意によって操作される。
その境遇を見抜く女のすれ違いの愛が、
土地の本当のかなしみを>>続きを読む
ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督『最後の命令』
歴史の趨勢に置き去りにされた人間の顛末。
フィクションのなかでのみ生き続けられる姿に、
空虚さと哀れみがのこる。
The story of h>>続きを読む
ホン・サンス監督『女は男の未来だ』(2004)
意気地なしで停滞し続ける男は、人間として女の進化前に過ぎない。
男の"つまらなさ/ろくでもなさ"に、女は呆れて、もはやそれ自体を愛して"あげる"。>>続きを読む
北野武(ビートたけし)監督『首』(2023)
TOHO シネマズ 府中にて鑑賞。
性悪こそが戦乱の時代には輝く。
悲劇も、裏切りも、徹底的な冷酷さによる人間性への諦めによって、普遍化し、人間は人>>続きを読む
ホン・サンス監督『正しい日 間違えた日』(2015)
酩酊のゆらぎの中で、
選択された言葉が身勝手に関係を繋いでゆく。
映画監督のハム・チュンス(チョン・ジェヨン)
は上映後のトークで「言葉の外で>>続きを読む
デヴィッド・リンチ監督『ジャックは一体何をした?』(2017)
猿が言葉を話し、罪を隠し、鶏に恋し、感情歌う。
人間しかしないことをすべてやる動物。
…デヴィッドモンスター。
A monkey>>続きを読む
アラン・レネ監督『ヴァン・ゴッホ』(1948)
絵画の映画化。
部位のモンタージュにより、
ゴッホの新世界が切り開かれる。
A film adaptation of a painting.>>続きを読む