オープニング、無造作に、ごく自然に現れる死体は特段悲惨さを感じさせない。他人の敷地に躊躇いなく寝泊まりし、ヒッチハイクで乗せてもらった車内でぶつくさ文句を言い、与えられたサンドウィッチをさも自分で買>>続きを読む
オープニング、屋敷の全景を収めるロングショットの手前に、奇怪な金属の物体が侵入する。三本の足を駆使して回転するようにぎこちなく移動する姿が愛らしい。牛を見つめるクラットの顔は、無表情そのものの骸骨で>>続きを読む
早稲田松竹に12時間缶詰めになって一気に鑑賞。全体的には、テレビドラマという制約もあってか、トリコロール三部作や『ふたりのベロニカ』で見られたようなキェシロフスキ節は抑えめに感じたが、このような良質>>続きを読む
手際よく鈴芽の日常描写を済ませた後、廃墟の水面を滑っていく明らかに異質な横移動撮影の先に扉が現れる。良いファンタジーの導入だ。教室で鳴り響く地震速報は、11年前のあの日以来、『君の名は』『天気の子』>>続きを読む
流石に長いので中弛みが無いとはいえないが、シリーズ最終作も豪華な贅沢品に仕上がっていた。ガンダルフを乗せた白馬がミナス・ティリスの頂上まで駆け上がっていくシーンの街の外観のロングショット。この規模感>>続きを読む
移り変わる川の表情が美しい本作であるが、最も美麗なショットはオープニングで披露される横移動撮影であろう。モノクロのポテンシャルを存分に活かして、黒々と映る水面に画面上半分のシダレヤナギのような葉が白>>続きを読む
ブレッソン8本目。観念的な台詞の羅列、政治の季節における若者の空虚な狂熱とカオスを眺めながらファスビンダーの『第三世代』を思い出していたのだが、鑑賞後に調べたら『第三世代』の冒頭で本作の映像が引用さ>>続きを読む
オープニング、ブレッソンにかかれば首の切断など日常的所作だと言わんばかりに、何の前振りもなく、無造作に死が導入される。淡々とした画面連鎖に対する音の優越は『バルタザールどこへ行く』以上のものがあり、>>続きを読む
『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのスケール感、ゴージャス感に慣れてしまったこともあるかもしれないが、前作に比べると印象的なキメのロングショットが減少し、代わりに人物のクローズアップ、バストショッ>>続きを読む
冒頭、亡くなった兄が納められ、燃やされる棺桶と主人公の目覚めるカプセルの形状の類似性が不穏な空気をもたらし、主人公の見つめる帰還した重機のタイヤに刺さった多数の矢がこれから赴く場の危険性を知らせる。>>続きを読む
冒頭、セリーヌは、落とし物を拾ったジュリーに気づいているのかいないのか、とにかく全力で逃走する。また、ジュリーも、落とし物を届ける気があるのかないのか、セリーヌに見つからないように慌てて落とし物を後>>続きを読む
ロングショットが披露されるたびに、絢爛豪華でド派手に構築された一枚絵が繰り出され、映画において資金が潤沢であることは強さだということを実感する。ガンダルフがホビットの町に訪れるために、馬車に乗って丘>>続きを読む
設定や人物関係の説明を丁寧にするつもりなど到底ない本作は、台詞の音声がカメラと人物の距離を全く反映しないことで更なる混乱をもたらすのだが、その分、例えばアレクセイ・ゲルマンの諸作品やタルコフスキーの>>続きを読む
導入部の手際の良さに惚れ惚れするな。敵役との初遭遇でクラントンの不穏な表情を見せておき、床屋への着弾というコミカルで魅力的なアクションを見せ、インディアンの無法者が銃を乱射する夜の酒場を外から捉えた>>続きを読む
久々に再見。流石フォードというべきだろうか、駅馬車に乗り合う面々の人物紹介と性格描写を手際よく済ませて流れるように物語が起動する。リンゴが弟が死んだことを告げると、気まずい沈黙の後、画面はモニュメン>>続きを読む
序盤に挿入されるエドワード・マイブリッジの連続写真に関する台詞。例えばカラックス『ホーリー・モーターズ』におけるエティエンヌ=ジュール・マレーへの言及のように、映画の始まりとしての連続写真に言及する>>続きを読む
気怠い導入部の画面連鎖を漫然と眺めていると、ふと差し込まれる「回転扉の邂逅」の鮮やかさが、主人公の二人が出会ったことを一瞬で伝える。
例によって起伏の乏しいヴェンダースの語りの中で、ロビー・ミュー>>続きを読む
同じタイ映画の「ブンミおじさんの森」でも見られた、カラフルな電飾に彩られた葬式。日本では考えられないこの装飾は、色彩に関する感覚の違い故なのか、あるいは、死に対する態度の相違なのか。フェイク・ドキュ>>続きを読む
冒頭、画面右奥から男が現れると、カメラは慌てて右にパンする。そして、ガタついたカメラワークで僅かにズームインし、画角を調整する。この時点で、カメラの存在を明確に示すシネマ・ヴェリテ的な方針が明らかに>>続きを読む
ナイフに血液が滴り落ちるイメージかと思いきや、ケーキ用のナイフに食紅?の液体が垂れ落ちていたことが分かるふざけた導入。ホラー映画って、こういうのをワイワイ考えたんだなという事実自体に愛おしさがあるよ>>続きを読む
オープニングから、プログレッシブ・メタルの劇伴、赤、緑の原色にアルジェントを感じるのだが、本作では製作と脚本を務めているアルジェントはどこまで演出にも関与したんだろうか。音楽はやはり、アルジェント作>>続きを読む
冒頭のフィニーとロビンとの会話に「悪魔のいけにえ」というワードが登場するが、偶々同日に見た「X エックス」も「悪魔のいけにえ」に全面的にオマージュを捧げていたため、同作が現代ホラー映画でも言及され続>>続きを読む
ルカ・グァダニーノ版「サスペリア」にも起用されていたミア・ゴスは、眉毛の薄い独特の顔に宿る神秘性がホラー映画によく合っている。
全体として「悪魔のいけにえ」を強く感じる。舞台がテキサス州であること>>続きを読む
ファーストシーン、ひっきりなしの会話劇と流れるようなロングテイクの移動撮影が輝かしい出会いの場面を紡ぎ出す。このダイナミックな演出とエモーションがPTAの筆遣いなのか。
ゲイリーが警察に連行される>>続きを読む
久々に再見。初見時から強く印象に残っていた妖しげな「夢二のテーマ」が鳴り響いた後、無数の紙風船とこちらに背を向ける樹上の女の幻惑的なイメージで映画は幕を開ける。全てのカットにおいて、凝りに凝った色彩>>続きを読む
ところどころテンポも鈍いし、テーマ的にもプロット的にも希薄な嫌いはあり、トリュフォーの作品の中ではさほど高い評価を受けていないのはまあそうだろうなという感じではあるが、どぎつい赤を基調にした色彩に思>>続きを読む
久々に再見。ゾンビが初登場するカットの見事なさりげなさ。ヒロインの兄がチラッと目線をやると、その主観ショットとして提示されるロングショットの奥に、ゆっくりと歩いているスーツ姿の男が映っている。本作が>>続きを読む
冒頭、木陰から細い光の筋が無数に差し込む森の中で、異様な風体の動物が姿を現す。前情報がなければ頭部だけが異常に毛深い奇妙な野生動物だと思ってしまいそうな少年が、森の中を四足歩行で自由に駆け回り、軽々>>続きを読む
恰幅の良い胡散臭い男が病院にずかずかと入り込み、延々と一人喋りを続ける。大量の人物が彼を取り囲んではいるが、たとえ彼が問いかけようとも群衆はほとんど口を開かない。異様な一人芝居。手持ちカメラ・ロング>>続きを読む
アクションシーンを中心とした小気味良いカット割りが、形式を意識させない流麗さと映像的な強度を十分に両立させ、弛緩しかねないメロドラマをこれさえあれば十分という程度の匙加減で処理しつつノンストップで物>>続きを読む
遂に連合赤軍が誕生し、画面に真っ赤なテロップで「連合赤軍」と表示されるに至るまでの、記録映像とナレーションを交えた歴史の確認パートが想定以上に長いのだが、政治の季節に繰り広げられた実際の出来事自体の>>続きを読む
極端なクローズアップやローポジションに仰角・俯角、執拗なタテの構図の連続とキメのロングショットを織り交ぜた細かいカット割りが生み出すケレンは「シン・ゴジラ」と同じく。お上品とは言い難いこの手法は個人>>続きを読む
シャンタル・アケルマン三本目。物語の輪郭が見えるまでが果てしなく長く、意味不明瞭なシーンが連続するため、観客を拒むような趣すらある怪作だった。
基本的に退屈っちゃ退屈なのだが、突如水没家屋のハッと>>続きを読む
官能的な会話の音声が重なる中で、微動だにしない浴槽の中の男をしばらく眺めていると、磨りガラスの向こうに脱衣した女が立ち上がり、静かな驚きが生じる。朧げな姿の彼女を見上げる男と、スクリーンを見上げる我>>続きを読む
「桜桃の味」以上に車の映画に仕上がっている本作。車というアイテムを用いれば、主人公は自然に移動し続け、背景とその中の人々は次々に入れ替わるし、それを走行音が包み込んでくれるのだから、時折その車体を魅>>続きを読む
ファーストショットに重なるドアの向こうの騒々しい声と音、ネマツァデの金切り声に近い子供特有の泣き声、教師と母親の延々繰り返される小言や赤ん坊の鳴き声と、最初の数シーンで、耳障りな音で作品を埋め尽くす>>続きを読む