原作を同じくするルノワール『牝犬』と連続で見たが、オープニングの宴会からキティとの出会いまでの流れを見た段階で、あーやっぱりルノワールよりラングだなと思ってしまったな。超ロングショットの中に女を殴る>>続きを読む
本作のミシェル・シモンは、家庭に居場所がなく勘違いして若い女に入れ込むおじさんという役柄にピッタリのリアルな存在感を有していた。妻役のマグドレーヌ・ベリュベも、ミシェル・シモンの暴走の原因となるのも>>続きを読む
シネマヴェーラでの本編上映前に老齢のリリアン・ギッシュのインタビューが流されたのだが、動きで構成されている原作だから映画向きだと思ったという一言だけで、グリフィスのミューズである彼女の映画への理解の>>続きを読む
ワンシーンが特に必然性もなく長いので冗長さは否めず、同じパプスト&ルイーズ・ブルックスコンビの『淪落の女の日記』の切れ味には及ばないなという感想だが、本作のルイーズ・ブルックスは、女優の美しさだけで>>続きを読む
当然『ファニーゲーム』『アス』等との比較は避けられない題材なのだが、侵入シーンはひたすら淡々としていてほとんど何も感じられなかった。まあそれらの作品と比べると悪意が無い侵入者だからしょうがないという>>続きを読む
冒頭のクモオーグとの戦闘シーン。下級戦闘員がずらっと登場する際の省略編集のゴダール的な切れ味、クモオーグが糸を用いてダムを下降していく魅力的な動き、ライダーキックを喰らいながらジタバタする六本の腕。>>続きを読む
例えば『ミツバチのささやき』が実証していたように、スクリーンを見つめる子どもの放心顔は映画内で映画を礼賛するための最良の手段なのだが、スピルバーグがこの描写から映画を始めたということ自体が素敵だなと>>続きを読む
新しい映画を産み出そうという試みがなされる際には、複数のジャンルを組み合わせるのが一つの有効な手段として選択されるものであろうが、マルチバースもののSFとカンフー映画は、両者の爆発的なテンションとカ>>続きを読む
堕落したバビロンの宮殿を映し出すロングテイク。上下に空間移動するダイナミックな撮影で映し出されるお祭り騒ぎを見ていると、映画の魅力ってこういうことでしょというチャゼルの声が聴こえてくるようで好感が持>>続きを読む
ロバート・フラハティが約90年前に『アラン』の舞台に選んだアラン諸島。本作においては、この島は美麗な風景と何もない空虚さを十分に両立して物語と調和する魅力的なロケーションになっている。島の美しい情景>>続きを読む
フェリーニがネオレアリズモの一角であった時期の作品だとされる本作。イタリアの田舎町の詩情がありのままに素描されている。レオポルドが隣家の窓を棒で叩き、彼と隣の使用人が二人で窓から顔を出す俯瞰ショット>>続きを読む
狂言回しを演じるアントン・ウォルブルックが物語の導入をするファーストショットの気合いが入った超ロングテイク。彼が左へ左へと歩いて行くとメリーゴーラウンドが画面に侵入する。彼とカメラが二手に分かれてメ>>続きを読む
流麗な長回しが披露される結婚式の晩に豪雨が海の荒れを知らせると、救難信号が私生活を容赦なく寸断する。雨霧の中に刺さる車のヘッドライト。『ある女の愛』『白い足』『不思議なヴィクトル氏』と見てきてグレミ>>続きを読む
導入部から詩情があって良かった。夜の海に浮かぶ船の上で慌ただしくランプが灯されると、接近するボートから難民と思しき人々が乗り込む。どうやら難民ブローカーを兼ねているらしい船乗りたちが、ユダヤ人難民を>>続きを読む
冒頭、狭い路地を歩く女の背後に着いたカメラがフラフラと揺れる不穏な主観ショット(に見えるカット)。なぜこのような、前後から浮き上がっているショットが怪しいムードを作る必要があるのかについてはすぐに観>>続きを読む
クリクリとパトリスは、同じカットに収まりながらも90度違う角度を向き、彼らが独白のように過去の思い出を語ると、当時の音声が僅かにオーバーラップする。独特な演出だな。床に落ちる呪われた新聞記事。これを>>続きを読む
アンソニーがマイケルに対して、大学を中退して音楽の道を選ぶ決意を毅然と宣言するシーン。自らも父親に相談せずに入隊することを選んだマイケルの血が確かに流れていることが示される。ヴィンセントを諦めるよう>>続きを読む
ロスがマイケルに対して朝までに200万ドル置いていけと迫るシーン。アル・パチーノの、僅かに上目遣いになり、じっと動かず、瞬きもせず、相手の一挙手一投足から思惑を読み取ろうとしているような鋭い眼光の迫>>続きを読む
オープニング、長閑な風景の中をバスが進む様を映し出す伸びやかなロングショットが重ねられていく中で、男がバスに乗り込む。その顔は決して凶悪そうには見えないのだが、視線の向きや立ち位置によって微かな違和>>続きを読む
ファーストショット、謎の騒音と共に水の上をジェットコースターのように傾きながら滑っていくカメラワーク。明らかにこの世のものではない何かの主観ショットで観客を一気に惹きつける。不気味な小屋の扉が開くと>>続きを読む
『不眠症』
小説を読んでいる主人公の想像として、陰影豊かな照明やヌルッと動くカメラワークなど、わりかし本気で怪奇映画のムードを作ろうとしているドラキュラ映画が挿入され、時折隣で寝ている奥さんの挙動に>>続きを読む
草原でコーヒーを淹れようと奮闘するも、諦めてごく少量のコーヒーに角砂糖を落として食べるエテックス。カメラがズームアウトすると警官風の男が立っており、エテックスは有刺鉄線で囲われた空間に番号が付された>>続きを読む
耳栓をすると嘘のように何も聞こえなくなってしまう主人公は、親に結婚するべきだと言われたのがきっかけなのかどうかすらも良く分からないが、突然部屋いっぱいの本を捨て、狂ったように求愛行動を始める。かなり>>続きを読む
エテックスは短編一作目から環境音を奇妙に誇張していたんだな。これはエテックスの作家性なのかもしれない。紙をゴミ箱に入れただけで金属音が響き、万年筆をインクに漬けるとチャポンという音がする。エテックス>>続きを読む
冒頭の回想シーン、主人公の朧げな記憶のモノローグに合わせて映像が切り替わるのがメタ的で面白い。テラスと店内を交互に移動した後、店員が回想に割り込んで「決めてくれ!」と怒鳴る。結局やってきたフロランス>>続きを読む
自分の車の前後にピッタリと自動車を停められてしまう主人公。クラクションで散髪途中の男に状況を知らせ、顔に泡をつけた男が車を動かすと、空いたスペースに新たな車が停まり、またもや前後ギリギリに車が駐車さ>>続きを読む
オープニング、パーカッションに合わせてピエロの顔のパーツが曲芸に変形していくアニメーション。ポスターデザイン等もやるエテックスらしいお洒落なオープニングだ。
サイレント喜劇への愛に満ちた作品なのだ>>続きを読む
個人的には3Dは好きではないんだけど、アバターシリーズだし3Dの方がいいのかなということで3Dで鑑賞。3Dはカットの切れ目がぼんやりする感触があるんだよね。少し前に『アバター』を3Dで見られたので比>>続きを読む
アヴァンタイトル、中原翔子にじっくりと寄っていくショットと、心なしか異世界と接続してしまったように見えてくる画面の中の河野知美の切り返し。呪われたテレビ番組に関するダイアログの後、今さっき会話に出て>>続きを読む
初っ端に登場した老婆の露出度に少々ギョッとしていると、リトル・イディが映画なんだから服を着ろと喚く。ビッグ・イディも動じずイボは一つもないなんて応じる。この時点で強烈なキャラクターが提示される。この>>続きを読む
序盤に演説する上司の男。悪酔いして迷惑をかけた奴らをクビにした、秩序を乱す者は排除すると宣言する姿が余裕たっぷりで、尊大な態度と若干似てるような気がするお顔もあってか、小さなドナルド・トランプみたい>>続きを読む
ファーストショット、ロープウェイを捉えたロングショットに、不穏に反復される音楽とも言えないような劇伴、ロープウェイの稼働音、謎の騒音が重なる。そこから、ゆっくりと引いていくカメラワークの中で、それが>>続きを読む
オープニング、雨に打たれる警察署の屋根を捉えていたカメラがクレーンで動き、窓越しの横移動で建物内部の様子を映し出す。切り替わったカットで屋内に移動し、そのままトラッキングへと流れるように繋がっていく>>続きを読む
何ということはない何気ない日常描写が重ねられていく本作は、スペシャルな何かがあるというような映画でもないが、思春期の不安定さを宿したまだ幼いシャルロット・ゲンズブールの姿を瑞々しく捉えた佳作だと思う>>続きを読む
飛び降り自殺の真っ最中の夫と目が合ってしまうという最悪の導入。自殺という罪深い(とされている)行為をきっかけに異世界と接続してしまうのは、例えばフルチ『地獄の門』等、ホラー映画の伝統であろうか。近し>>続きを読む
ビーチ側の遊園地という映画向きのロケーションの組み合わせでスタートする本作。『上海から来た女』が映画的であることを示したミラーハウス。非常口が増幅する空間の中で、迷子と口笛の組み合わせが『M』の映画>>続きを読む