「ふいてもふいても埃ばかり」。
これから先もずっと、私はそうやって日々の埃を払っていけるだろうか。思わずそう考えてしまった。
おしゃれで明るい友人が言うには「面倒を乗り越える その繰り返しが人生よ」>>続きを読む
声の与えられていないサイレント映画では、登場人物はその姿、とりわけ顔で語る必要がある。
指で唇の両端を持ち上げ、笑顔を作ってみせる少女。それは父親のためだけでなく、私たちのためにも。
その奉仕の健気な>>続きを読む
「プロットが大変込み入っていることでも有名」の前評判通り、分かったんだか分かっていないんだか、よく分からないままに終わった映画だった。
そこは一旦置いておくとして、好奇心止められないマンなフィリップ>>続きを読む
元教師の家を飛び出したあたりからのラスト約10分間がすごい。
少年が一人走る、歩く、歩く…。
死へ向かうまでの彷徨いというには、心理的ドラマが不足している。常にうつむき、ほぼずっと無表情だ。
死の瞬>>続きを読む
長期休暇終了後、三日目にして、社会人生活に穏やかな疲れを覚えて鑑賞。
「君に生きるのを手伝ってほしい」がドチャクソに名シーン。
いくつになっても生き方無免許運転というか、フリースタイルダンジョン感が>>続きを読む
新たな波、ヌーヴェル・ヴァーグについて語られる。
「現実の博物館 (6)」とか言われて、もう泣きそう。
がんばれ、あと2章…。
メモ
・『大人は判ってくれない』と『火刑台のジャンヌ・ダルク』、『現金>>続きを読む
前半は虐殺や権力について。
そうか、ゴダールやヨーロッパの人々にとって列車は、強制収容所への移送を行った装置でもあるのか。
列車のシーンはつい無邪気に楽しんでしまっていたので、反省…。
後半は戦後イ>>続きを読む
噂には聞いていたけれど、始めから終わりまで、本当に青一色でびっくり。
観たVHSには字幕がなかったので、正真正銘のブルーだった。
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「青よ、出よ」
「青よ、湧き起これ」
「青よ、立ち昇れ」
「青>>続きを読む
このレビューはネタバレを含みます
2時間36分と長尺だけれど、どこに腰を落ち着けるか、いまいち定まらないままに最後まで観てしまった、そんな感覚の残る映画。
まず冒頭の、先住民の襲撃を受けるシーン。
これは楽しい!一大活劇! 後から何>>続きを読む
『マルホランド・ドライブ』の印象で観たら、なんというか平和すぎて、逆に狐につままれたような気分になった…。
ドロシーがワンシーンを除いて終始カツラをつけているの、えっ、なんか怖くない…? とか思い始め>>続きを読む
“FATALE BEAUTE”。
「決定的な」「死に至る」美。
「映画は自らを投げ出す」。
映画=思考=主体そのものをなげうつ、命がけの美。
女と銃、もしくは性と死。
美はどこに?
「二つの遥けさの>>続きを読む
「デレク・ジャーマン、ええやん!」と思ったのも束の間、これは私には合わなかった…。
まず、エドワード2世って誰だ? 世界史に出てきたかな? とウィキペディアで調べてみると、「英国史上最低の王と呼ばれ>>続きを読む
バロック絵画をひらいた先駆者カラヴァッジョの生涯を映画化ということで、冒頭の方のシーンから早速、バロック的な絵作り。暗い背景から浮き上がる、的確に光の当てられた人物たち。
躍動する一瞬をキャンバスの上>>続きを読む
以前に観たときは変化してしまったもの、失われてしまったものに目が行き、とにかく落ち込んだ覚えがあるけれど、改めて観るとまた違った思いがわいた。
最近読んだ本が影響しているかもしれない。
「持続という>>続きを読む
そもそもザ・バンドを知らなかったし、知らない曲ばかりだったけれど、不思議と楽しく鑑賞。
“ロックの教科書”に載っているような、名だたるミュージシャンが同じステージに会していて、脳がバグりそうになる。>>続きを読む
二年くらい前かな? 私も同じことを考えて、実践しようとしたことがある。
すべてに「うん、いいよ」と応える人であってみたかった。
それでもやはり、どうしてもいいよと答えられないことはあり、挫折してしまっ>>続きを読む
サイレント映画ピアニスト・柳下美恵さんの伴奏付きで『私のお祖母さん』『スヴァネティの塩』の同時上映。
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憧れの地・ウシュグリが舞台だが、そこでの暮らしはなかなか厳しい。
山岳地帯の過酷な自然環境>>続きを読む
『私のお祖母さん』『スヴァネティの塩』の同時上映。
サイレント映画ピアニスト・柳下美恵さんの伴奏付き。
両作品とも劇伴の収録されていないサイレント映画だということを柳下さんが知り、急遽実現されたとの>>続きを読む
あまりにも救いのない物語…。
少年スサは子供らしい感情を失ってしまっているわけではなく、元同僚の青年とは実に楽しそうに遊ぶ。それがなおさらつらい。
出稼ぎから戻ってきた父親が、車のおもちゃを買って>>続きを読む
踊っても富むわけではないが、踊る人々。
青年は家庭を持ちたいが、踊りだけでは妻や子供を食わしてやることができない。少年は母親に自転車を買ってもらうも、おんぼろの自転車だった。
民族の誇りのために踊る>>続きを読む
『西暦2015年』『大いなる緑の谷』の同時上映。
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『西暦2015年』
世界最古の映画スタジオの一つである、ジョージア・フィルムが舞台の短編ドキュメンタリー映画。
膨大な数のフィルムに衣装。しか>>続きを読む
『映像』『ケトとコテ』の同時上映。
上映終了後には、今年の春まで岩波ホールに勤務されていてジョージア映画祭を企画された、はらだたけひでさんのトークショー付き。
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『映像』
昨年のジョージア映画祭>>続きを読む
神と悪魔、キリスト教徒とイスラム教徒、現代のパートがあり、壮大な叙事詩のような印象。
草原を歩く女神のおもての白さは、ベルイマン映画のような神々しさ。
冒頭の断崖でまず心を持って行かれるんだけれど >>続きを読む
“普通”の映画が始まるものだと思っていると、開始早々、しっかりと葬式が執り行われ埋葬されたはずの市長が、なぜか土だらけで庭の木に寄りかかり立っている…!?
うええ、いったい何が起こっているの…!?とお>>続きを読む
当時はよく分からないで観ていたけれども、アブハジアが舞台。
ジョージアはずっと外からの侵攻を受け続けてきた国だけれど、アブハジアはそんなジョージアからの独立を求め、紛争が勃発している。
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岩波ホ>>続きを読む
波瀾万丈、母は強しなストーリーなんだけれど、映画祭の資料によると、監督の祖母の実人生に基づいているとのこと。
ヒロインが馬に乗って駆けるシーンがめちゃくちゃかっこいい。
スヴァネティ地方が舞台。>>続きを読む
ホームページに掲載されていたあらすじによると、「西ジョージアのチアトゥラ、かつては鉱山で栄えた町は、ソ連解体と同時に終焉をむかえ、ゴーストタウンと化している。音楽教師、鉱夫、アスリートの姉妹…半ば朽ち>>続きを読む
外から来た者である譜雨に対して、元からいた者である嘉子は、京都についてはよく知っている。
いわれのある街。“帷子ノ辻”の由来について、澄まし顔ですらすらと諳んじてみせる。また、映画の街。お弁当の配達で>>続きを読む
「男と海(mer)か、男と母(mere)か」と、男二人が洒落を言い合う冒頭のシーンに続き、以降映画は様々な二人のダイアローグを重ねることにより進行していく。
ジェラールとマリアンヌ、マルタンとローラ>>続きを読む
自分をモデルにした役を別の女優が演じることについて、映画監督の夫マチューを激しく糾弾する女優の妻ジャンヌ。
自分自身を演じることは、主観を客観性をもって表象すること。誰にでも分かる形で愛を表明すること>>続きを読む
とにかく前向きな気持ちになれる、清々しい映画だった。
人生において夢中になれることを見つけるのは、とても大事。
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やらなければならないこと、まずはやると決めたこと。
職業人としてそれらを全うする>>続きを読む
水の映画だった。
すべてを物語っていたとも言えるファースト・ショット。
石のタイルの上を流れる水。不変と可変。死と生。男性と女性。等々。
タイルの床を掃除する水というごく身近な事物が、鏡のもたらす魔術>>続きを読む
水族館の大水槽を見上げているとき、色とりどりの魚たちがひしめく様子や、銀色の魚の群れが鱗に光を受けて泳ぐ様子に、「銀河のようだな」と思ったことが何度かある。
両者に重なるのは光、そして夥しさ。
*>>続きを読む
カイとルーが深夜に散歩するシーン (デート未満の雰囲気なのがまた愛おしい) が、とてもよかった。
何気ない瞬間の一つ一つが「こんなに幸せな瞬間ってあるのか」と思うほど、幸福感に満ち溢れていた。
*>>続きを読む
このレビューはネタバレを含みます
好奇心は猫をも殺す、そんな映画。
レックスは真相を知るために、この世で最も憎い人物であるはずのレイモンの指示に従い、彼の自動車に同乗し、差し出されるコーヒーを飲み、果ては棺桶に入れられ、生き埋めにさ>>続きを読む
あまりにも深すぎる絶望。
大義なき戦争、環境破壊、教会・企業間の不正な関係…。一個人が向き合うにはあまりにも巨大な、現代アメリカの抱える問題。
それでもトラーは聖職者として、自らの言葉や手の届く、メ>>続きを読む