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オッペンハイマーのKSatのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
1.5
日本公開が遅れたのは題材のせいなどではなく、単純に退屈だからでは?それくらい、死ぬほどつまらなくてヤバかった。去年はバーベンハイマーが騒がれたが、最近のハリウッドではクソつまらない映画を大枚はたいて作ってそれを見ながら騒ぐことが流行ってるようだ。

「ダンケルク」というブリッブリの戦争映画を撮ったノーランだが、この映画は良くも悪くもとことんメリケンな映画だった。ノーランは本当に二重国籍者なのだな、と思った。

とりあえず、アメリカ人と日本人は歴史の捉え方が感覚的にまるで違うんじゃないかな。

日本では小学校から高校を出るまで日本や世界の2000年以上もの歴史を習うが、アメリカは同じ時間かけてたった250年分の米国史しかほとんど習わないと聞く。よく言えば、母国の歴史について濃密に学ぶことができるともいえるが、悪くいうと、さほど重大ではない出来事や人物も「母国の歴史だぞ」ということでやたらめったら細かく習う。一方で、それ以前の米国史(ネイティブ・アメリカンについてなど)や他国の歴史、あるいは他国と母国との関わりや他国から見た母国の姿などについては、皆目見当もつかないのだ。

この映画は、オッペンハイマーの学生時代から原爆の開発、その後の自責の念と赤狩りに巻き込まれての苦悩などが描かれるが、ぶっちゃけ1時間半もあれば十分である。それを3時間も引き伸ばしてドヤ顔で語る辺りに、そんな米国人の「引き伸ばされた」歴史の捉え方が伺える。

いや、日本の歴史映画だってそうだろ?といえばそれまでだが、その場合、背景にあった出来事や各登場人物の果たした業績がもう少し描かれると思う。しかし、この映画では、そんなことはみんな最初から知ってるよね?学校で習っただろ?という前提で進む。

自分も原爆の開発についてはまるで明るくないのだが、ハッキリ言ってこの映画を見てもエドワード・テラーやラビ、ローレンス、ボーア、フェルミといった人たちがどこの誰で、何の専門家で、核開発においてどのように貢献したのか、水爆と原爆それぞれの違いは何でなぜ原爆が選ばれたのか、よくわからなかった。脳内で次々に和田アキ子が湧き出てきて「何をされてる方なの?」を連呼するのは、気持ちの良いものではない。

その点で言っても、これは米国人による米国人のための歴史映画ないし伝記映画でしかなく、原爆を落とされた日本人の観客なんてのは端から相手にしていないのだ。

もっというと、この映画はトリニティ実験の話題が出るまで、一切「日本」という単語すら出てこない。登場人物たちは皆、ソ連やナチス・ドイツについての言及ばかりしているのに、突然取ってつけたように日本の話になり、原爆投下に向けた実験が一気に加速する。本当はナチス・ドイツとソ連を何とかしたいけど、リスクがあるから異国の黄色人種の住む島で実験してみよう!というわけだ。日本人として、何とも舐められた気分だ。

そして、3時間近くあるにもかかわらず、この映画からはオッペンハイマーの苦悩が伝わってこないのは、致命的だ。いや、彼のユダヤ人や左翼としてのアイデンティティがその人生に与えた影響が大きかったことはわかるのだが、それは「情報」としてわかるだけ。なぜ共産党的なリベラルの活動に身を投じるのか、なぜ核開発に身を捧げたいのか、彼が本当に愛していたのは誰なのか、彼はなぜ原爆の開発に関わったことを後悔したのか。それらのことが感覚的に伝わる場面は皆無だ。ピカソの絵を見てストラヴィンスキーの「春の祭典」を聴く天才、というような表現も、すごく頭が悪い感じがする。

というか、この映画に印象的な「場面」などあっただろうか。基本的にこの映画には全くといって良いほど間がなく、情景もなく、ひたすら台詞の応酬による情報の洪水を見せられ続ける。トリニティ実験のところだけ少し印象的にするため、突然時間を引き伸ばして「場面」にし、緊張感を出すのも、作為的すぎないか?

何よりも、延々と展開される聴聞会の信じ難い退屈さ。狭い部屋の中で苦虫噛み潰したようなおっさんたちが延々と尋問してる場面は、見ていて吐きそうになるくらい退屈だ。原爆に対する罪悪感より、赤狩りの話に重きを置きすぎでは?

ロバート・ダウニー・Jrもどう考えてもオスカーを獲るほどではないし、エミリー・ブラントの演技も物凄く鼻について醜悪。まあ、チャーチルでオスカー獲ったゲイリー・オールドマンがトルーマンを演るってのが、この映画一番の見どころかな。結局、この人が一番上手かったと思う。

トリニティ実験を描いたものなら、「ツインピークス The Return」の第8話の方がよほど良かったよ。てか、ジェームズ・キャメロンはいつになったら原爆の映画撮るのよ。
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