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珈琲時光のnetfilmsのレビュー・感想・評価

珈琲時光(2003年製作の映画)
3.5
 線路の音、電線に止まる鳥たちのさえずり、扇風機のかかる部屋でTシャツ姿の陽子(一青窈)は、洗濯物を干していた。蝉がジリジリと鳴く2003年の夏、台湾から帰国した彼女に古本屋の主人で鉄道マニアの肇(浅野忠信)から電話がかかってくる。フリーライターを生業とする彼女は、戦前30~40年代に活躍した台湾出身の音楽家・江文也について調べていた。ある暑い夏の日、陽子は列車に乗って肇のところへ出掛けた。都電荒川線に乗って大塚駅へ。そこからJRを乗り継いで神保町駅へ。待ち構えていた肇は自力で調べた書籍とCDを彼女に渡す。そのお礼に陽子は台湾でお土産に買ったアンティークの懐中時計を肇にプレゼントするのだった。実家のある群馬県高崎市では、陽子の父親(小林稔侍)が娘の帰りを今か今かと待ち構えていた。お盆時の実家、縁側のある部屋では窓が開け放たれ、畳の上で陽子は久々にのびのびとした気持ちになっていた。だが彼女は母親に対し、あっけらかんと「妊娠している」ことを告げる。

 長女の妊娠の知らせに両親が狼狽するのも無理はない。娘は日本人ではなく、たまに往来する台湾の恋人との間に子供が出来た。しかし彼女は結婚するつもりはないという。両親は彼女の真意が分かり兼ねていた。そんな両親の心を知ってか知らずか、陽子は相変わらず江文也の研究に夢中になっている。古き良き珈琲店の風景、そして神田神保町の懐かしい街並み。ホウ・シャオシェンお得意の車窓のパノラマ・カメラは山手線、京浜東北線、高崎線や都電荒川線でフレームいっぱいに拡がり、陽子の歩く街並みは懐かしい2000年代初頭の雰囲気を残す。小津安二郎の『東京物語』にオマージュを捧げたとされる本作だが、墓石や列車のレールや珈琲店のアンティークのカップ以外には、残念ながら1953年の東京の雰囲気はほとんど見られない。それどころか東京の街で暮らす陽子には、もはや『東京物語』の紀子のような慎ましさもほとんど残っていない。

 笠智衆並みに寡黙な陽子の父親は然しながら、愛する娘の決断に意見することも出来ない。下町の隣家から借りて来た僅かばかりの一升瓶を握りしめ父親は、斜め下を眺めじっとうつ向くばかりだ。そればかりか肇も自身の気持ちを隠したままで彼女に好きと告げられないでいる。周りの人間は陽子の決断を黙って見守ることしか出来ない。その黙認する姿にこそ日本的な慎ましさは微かに残る。ごみごみした東京の中で、市井の人々は何百人と孤独にすれ違い、様々な思いを秘めながら懸命に生きている。果たして未来は明るいのか?それとも暗いのか?それは誰にもわからないけれど、東京の音を聞こうとする肇の真剣な眼差しに希望を投影し、映画は静かに幕を閉じる。
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