レインウォッチャー

ドント・クライ プリティ・ガールズ!のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

3.0
ハンガリーにも、ロックと共にヒッピーカルチャーの波は届いていたのか。ただ、当時はソ連の占領下ということもあってか、享楽的な解放感には至りきっていないように見える…というか、少なくともそのように巧く切り取っているというべきか。

若者たちはまさに《群れ》のようなゆるいコミュニティを形作って、どこか所在なさげにさまよう。行く先々で音楽が鳴り続け(※1)、ミュージシャンたちは「これから俺たち自身の(輸入ではない)音楽を作っていくんだ」と息巻いている。
充満した青いエネルギーの発散しきらない流れ、それが慣性で滑っていくようなロングショットによって目に見えてくるようだ。台詞以上に流れる楽曲の詞が語る割合も多い。

物語の中心にいるのはひとりの可憐なガール・ユリ(J・シャレロヴァ※2)。おさげにぱっつん、ドールめいたファッション(※3)はスウィンギン・ロンドンの余波を思わせつつ、少女らしい。

彼女はふたりの青年のあいだを揺れ動くのだけれど、気づくのは殆どと言って良いほど「しゃべらない」ことだ。
彼女を無自覚に《所有》しようとする男たちに対して、彼女は重ための前髪の奥からビームを送るのみ。振り返って視線をこちらに向けるとき、まるで「ねえ、あなたは気づいてくれないの」と訴えているように思えたのは気のせいだろうか。いずれにしても、そこに主体はないのだけれど。

周囲にはたくましそうな女子も居たりはするものの(キスで1フォリント稼ごうとする子とか)、「男性ありきの自分」からは抜け出せておらず、あるいはそれがメーサーロシュ・マールタという作家が既に持っていた視線だったのか。

『ドント・クライ・プリティ・ガールズ』、そうタイトル(と、劇中で流れる曲の詞でもある)は言うけれど、ユリはまだちゃんと泣き方も知らないままに運命を選ばれてしまったかのよう。
ハンガリーという国が民主主義国家として独立を果たすには、この後まだ暫くの時間がかかることになる。その短くはなく現在もなお形を変えて続いている道行きを、作り手はユリを通して予見していたのかもしれない。

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※1:劇中等ではビートミュージックと表現されているけれど、中には後のプログレやジャズロックの素養を感じさせるバンドもいて、単なるロック後進国とは侮れない。

※2:彼女の貴重な代表作『闇のバイブル 聖少女の詩』は、全少女崇拝者に捧げるデカダンでドープな名&奇作。
https://filmarks.com/movies/51009/reviews/157452613

※3:わたしは姫カット偏愛人間かつ睫毛は濃ければ濃いほど良いと思ってる節があるため、今作のユリはちょっとオーダーメイドすぎて。