ずどこんちょ

シン・仮面ライダーのずどこんちょのレビュー・感想・評価

シン・仮面ライダー(2023年製作の映画)
3.7
ヒーローというものは敵を倒さなければ成り立たないものでしょう。
人間の命を脅かし、人間の世界を破壊する敵がいる。その敵の脅威から平和を守るため、ヒーローは立ち向かいます。
しかし、そこにはヒーローもまた暴力を駆使せざるを得ないという矛盾を常にはらんでいるのです。
ウルトラマンも、戦隊ヒーローも、アンパンマンでさえ。
暴力によって暴れ回る敵に対して、説得や法的な措置によってその力を抑え込むヒーローはなかなか見られません。いたとしても、子供達の憧れの的とはならないことでしょう。

暴力に対する、力による制圧という矛盾をヒーローに抱えさせ、苦悩させた唯一無二のヒーローこそ、「仮面ライダー」なのだと思います。

冒頭、力を制御できずに敵をバッタバッタと薙ぎ倒すシーンでは、握り拳で敵の顔を潰して血飛沫が飛ぶという結構刺激的なシーンがあります。幼い子供に見せるには要注意です。

「これを被ると、暴力の加減が分からなくなる。」
「思ったより、辛い……」

主人公の本郷猛は戦うことを嫌う青年です。
かつて犯罪者によって警察官だった父は目の前で殺されてしまいました。あの時力があれば、父を守れたかもしれない。警察官だった父が発砲という暴力を行使すれば、自分が刺されることもなかったかもしれない。
そんな力を欲していた本郷だからこそ、緑川の手によってバッタオーグの力を授けられたのです。
しかし、本郷はたとえ敵でも平然と殺すことに罪悪感を感じてしまう。血に塗れた自分の手を見て、自分の力におそれを感じてしまうのです。暴力という不条理による悲劇を知る本郷だからこそ、力が与える影響の強さに苦悩します。優しすぎるヒーローです。
父・緑川の遺志を継ぎ、ショッカーの壊滅のために動き出したルリ子は、それこそが人を守るということなのだと言い放ちます。

力による悲劇を防ぎ、人々を守りたい。そのためには力が要る。矛盾をはらんだヒーローの誕生です。

本作における仮面ライダーのアクションシーンは、昭和のアクションシーンの再現と新しい形での演出のハイブリッドでした。
突如どこからともなく現れる敵の傭兵たちや、謎めいたカット割りなどは昭和っぽい演出を感じさせます。
一方で、いわゆるライダーキックと言える空中蹴りのシーンはCGも使ってシンプルかつ迫力のあるキックが見られました。
オリジナルを尊重しつつ、現代的なカッコ良さも追求したアクションの演出が魅力的でした。

ショッカーの目的は人類の幸福。
人間の科学によって、幸せになることを目指して世界を統一しようと目論むのです。ショッカーの幹部たちはそれぞれの能力を使って、様々な形で人々の幸福を実現しようとしているのですが、その方法は独善的であったり、非人道的であったりする手段ばかり。
政府と仮面ライダーは、そんなショッカー幹部たちを一人ずつ打ち倒していきます。

ショッカー幹部として出演した人々が豪華でした。
冒頭のクモオーグが声のみの出演となった大森南朋。その他、長澤まさみや西野七瀬、本郷奏多などが怪人として存分に暴れ回ります。
子供向けの特撮番組のように完全な怪人スーツに身を包むのではなく、革ジャンにマスク程度のいかにも人間らしい姿を残しているのが、リアルな"怪人"っぽくて良いです。
後頭部から髪の毛が出ていたり、サソリオーグもほぼ長澤まさみだったりして、人間の堕ちた姿を感じさせます。

そんなショッカー幹部に対して優しすぎるヒーローは、たとえ敵でも殺したくない時には手を引きます。武力による解決の必要性がなければ、撤退することも選択します。
そしてたとえ敵でも、人の命に対する敬意を忘れません。
ルリ子の旧知の仲であるハチオーグを殺すことはできないと本郷とルリ子が説得を試みる中で、政府機関の男からハチオーグが殺されてしまった時、本郷は頭を下げて黙祷を捧げるのです。
彼は常に暴力を憎んでいるのだと思います。仮面ライダーとして闘うことを決意した後も。たとえ自分自身の暴力であっても、それによって命が失われることになればそこに無念な気持ちを乗せて祈りを捧げるのです。

そんな本郷とルリ子の前に、新たに強化されたバッタオーグが現れます。一文字隼人という人間が変身する仮面ライダー2号は、ショッカーによって洗脳された状態で本郷との戦いに挑戦状を叩きつけました。
ショッカーの洗脳スタイルは絶望し、悲しみに暮れる人々からその記憶を奪い取り、多幸感を上書きすることで洗脳していきます。
逆に言えば、本当の自分の記憶を取り戻した時、彼らは悲しみに打ちひしがれることとなるのです。ルリ子によって一文字隼人が本当の記憶を取り戻した時、一文字は絶望に打ちひしがれます。

仮面ライダーの仮面にはいわゆる「涙ライン」と呼ばれる、涙の跡があります。その涙の跡があるから、仮面ライダーのマスクには哀愁を感じます。
その涙は、悲しみの記憶、暴力による苦しみの涙に他ならないのです。

そんな戦いの最中、ルリ子はK.K.オーグの急襲によって致命傷を負い、死んでしまいます。
力があっても守りきれなかった本郷は、更なる悲しみを負うこととなるのです。
悲しみに暮れる中、ルリ子のデータを手に入れるためにマスクをかぶる本郷。彼女の記憶を知り、本郷はマスクの中で涙します。仮面ライダーのマスクは悲しみの顔さえも隠してしまうのです。
辛い気持ちや、苦しい気持ちを仮面で隠すヒーロー。それでも隠しきれない「涙ライン」。
マスクを外さずとも、ライダーは常に泣いています。実に切ないマスクです。

本郷と一文字が最後に対峙した敵は、ルリ子の兄の緑川イチローでした。
無差別殺人という暴力で愛する母を失った緑川イチローは、人の魂を別次元へ送り込むことで幸福を実現しようとする危険思想のルリ子の兄です。
あの時、力があれば母を守れた。イチローは常々そのように感じてきました。
「あの時、力があれば」という根源的な願いは、本郷にも通じるものがあります。
暴力によって愛する人が不条理な死を迎えた二人。片方は力を手に入れて、人々を守るために行使します。片方は力を手に入れて、暴力の存在しない世界へ人々を強制的に導き、自分だけが存在する世界を構築しようとしています。
同じ願いを抱えてきた対極的な二人が、ルリ子の思いを背負って最後に衝突するのです。

イチローと本郷の最後の戦いでは、イチローの強力な力に対して本郷が意地で粘り強く戦い続けます。
やがて互いに息を切らせながら押さえつけ合うのが、リアルな戦闘シーンで良かったです。
怪人やヒーローとはいえ元は人間。息も切れるし、スタミナ切れもある。羽交締めにしながら、息も絶え絶えに戦い続けるのです。
最終的には泥臭く戦ったまま決着がつきます。
派手な爆発や、派手な必殺技など披露されません。

子供の頃、友達と喧嘩した時を思い出します。
普段は仲の良い友達との喧嘩は、手も出るし、足も出ました。取っ組み合いになって、決着がつきません。お互いに決着などつけようとしていないのだと思います。
だから暴力を振るいながら、泣きたい気持ちになる。喧嘩しながら泣いてしまったことだってあります。
クライマックスのイチローと本郷の戦いは、そんな喧嘩の後に訪れる虚しさを思い出しました。
ヒーローの戦いは決してカッコ良いものではない。何度も繰り返すように、それはただの暴力の応酬であり、ヒーローである主人公自身も、暴力による解決は望んでいないのです。

一文字にすべてを託し、戦いから解放された後の本郷の声は、風を感じてとにかく清々しそうに見えました。