ずどこんちょ

レジェンド&バタフライのずどこんちょのレビュー・感想・評価

レジェンド&バタフライ(2023年製作の映画)
3.4
2時間48分に及ぶ、織田信長と帰蝶のドラマでした。
古沢良太脚本ですが、ちょっとした大河ドラマ。同じく古沢脚本だった「どうする家康」よりも、真正面から描いた大河ドラマだったかもしれません。

なお、監督は「龍馬伝」や「るろうに剣心」シリーズの大友監督ですし、音楽も昔から大好きな佐藤直紀。
この3人の作り手が揃ってるだけで、私の中では良い作品になることが約束されている気がします。

戦国動乱の世に生き、人の道を捨て、修羅の如く我が道を突き進んで散った織田信長。
そして、そんな信長の正室として彼のことを本気で慕い、心の支えとして奔走した帰蝶こと濃姫。
信長のことを描いた歴史ドラマというよりも、歴史上の信長の波瀾万丈の事件に加えて、不器用な二人の言葉に出せない深い愛が描かれているため、多くの人に共感を得られやすいストーリーとなっていると思います。

木村拓哉はもとより、綾瀬はるかがとても殺陣やアクションが上手く、機敏に、かつ力強く演じていました。
特に浮浪者たちを相手に二人で応戦するシーンは圧巻でした。ゾンビのように群がる浮浪者たちを容赦なく斬り捨てていく二人。
血飛沫が飛び、なかなか刺激的な乱闘シーンです。喧嘩ばかりだった二人の仲を急激に近付ける事件だったのですが、二人とも華麗に立ち回り、敵を寄せ付けないアクションがカッコ良くて何より印象深かったです。

徳川家康役を演じたのは斎藤工。
昨年の「どうする家康」でも松本潤が演じていたし、まぁスッキリしたイメージの徳川家康がいても良いじゃないかと思っていたら、がっつり特殊メイクを施したふっくら体型の徳川家康でした。みんなが知ってるイメージ通りの、家康で安心です。
目の前で明智が信長からいじめられてもその魂胆を見抜く洞察力を持ち、明らかに政治ができる聡明そうな家康です。そして同時に、皆が引いている中でその後も一人だけ飯を「うまい、うまい」と食べ続ける掴みどころのない部分も見られます。
同じ脚本家が同じ人物を描いていても、ストーリーに合わせてこうもイメージを変えることができるのかと思うとちょっと驚きます。
キャラクターが良かったので、もう少しこの家康による飄々としたやり取りの見せ場がほしかったです。

本能寺の変はなかなか見応えのある戦闘シーンだったと思います。
寝巻き姿で的に応戦し、返り血を浴びながら敵を斬り続ける信長。なんとしてでも帰蝶に会いに帰らねばならないと奮闘する信長の前に、加えて明智の軍勢が門を破ってなだれ込んできます。この瞬間、信長は一瞬「勝ち目はない」と冷静に判断した表情をしました。しかし、すぐに威勢を取り戻し、鋭い目で彼らの前に立ち塞がります。キムタクのこの微妙な感情の変化が凄かったです。
軍勢を前に、敵兵の首を掲げて自分の首は取らせないと叫ぶ信長の鬼の形相が凄まじい威圧感です。
わずかな数の味方の兵たちも、鉄砲から信長をかばい、体当たりで軍勢を押し留めるなどして死守していましたが、信長は次第に焼け落ちる本能寺の奥へと追い詰められていくのです。

本能寺の変は歴史上謎に満ちたミステリーです。
謎が多いからこそ、ドラマや映画で織田信長の人生を表現する際にはどのような解釈をして、本能寺の変やそこに至るまでの明智光秀との関係を展開するかが、制作者側の一つの手腕となっています。
史実とかけ離れたストーリーではSFになってしまいますし、明智光秀を皆の前でいじめて恨みを買ったから討ち取られたとする一般的に広く知られている展開だけではありきたりすぎる。
何度も何度も映像化してきた展開ですから、多くの人たちがその作品のオリジナルの解釈を期待してしまっているわけです。

まず一つ目の謎は、明智光秀が謀反を起こした動機です。
本能寺の変に至るまで、二人の間に何があったのか。そもそも明智光秀が謀反を起こしたということにするのか。
本作では、明智光秀が信長に「失望したから」という動機が描かれていました。物語の中盤、延暦寺焼き討ち事件の際も、女子供を手にかけようとする信長にただ一人賛同したのが明智でした。
彼は信長の"魔王"としての狂気に惹かれていたのです。

敵や政略のためなら情け容赦なく、徹底的に突き進む信長の気概に惚れ込み、そんな信長だから天下布武を成し遂げるだろうと確信していたのです。
家康の接待の席で明智が準備した食事に難癖をつけ、皆の目の前で彼をなじった時も、明智にそうして威厳を見せつけるように言われたからやったのでした。
ところが、その後、信長は明智に非礼を詫びた。それは"魔王"である信長にはあってはならない人間味だったのです。
人間味を帯びた魔王は魔王ではなく、ただの人である。ただの人は天下を収めることができない。
そう失望した明智が本能寺の変を起こしたというのが本作での解釈です。

次に、信長はどのように亡くなったのか。あるいは、亡くならなかったのか。
焼け落ちた本能寺の跡地から信長の死体と思われる者は見つかりませんでした。明智も信長の首を討ち取ることはできず、自害したとする説が最も有名です。
本作の信長は本能寺の変で追い詰められた部屋で抜け道を見つけ出し、帰蝶の元へと戻っています。そして、病に伏せる帰蝶を連れ出し、夢だった南蛮へと渡来するのです。

……ですが、それは結局、信長が今際の際に見た夢であり、彼は本能寺で多くの通説がそうであるように自害します。
ただ、そのような夢があっても良かったのではないでしょうか。物語の序盤から帰蝶は海を超えて南蛮に渡りたいという夢を語っていました。

帰蝶は常に政略や人質としての結婚などを強いられ続けていました。
姫であるに関わらず人並み以上に武術を心得、気丈な気概を持ち合わせています。本当は彼女もその名の通り、蝶のように自由に飛び回りたかったのです。なんのしがらみもない場所へと飛び立ちたかった。だから、日本の外へと向かうことを夢見ていました。

だから、信長が帰蝶を連れて南蛮へと渡ったのであれば、二人はついに何のしがらみも気にせずに自由に、穏やかに暮らしていくことができたことでしょう。そういう選択肢があれば、どれほど幸せだったことでしょう。
本作では本能寺の変の最後で信長の自害という結末のみならず、「あったかもしれない運命」の一つを描いてくれたことで、儚くも希望を感じることができました。