シゲーニョ

コーダ あいのうたのシゲーニョのレビュー・感想・評価

コーダ あいのうた(2021年製作の映画)
4.2
もしかしたら、自分だけかも知れないが…
“この歌が流れた映画に駄作なし!”と云う法則がある。

例えば、シャルル・トレネ作詞・作曲の「La Mer(46年)」。
「グッドフェローズ(90年)」「アポロ13(95年)」「ビヨンド the シー 夢見るように歌えば(04年)」「Mr.ビーン カンヌで大暴れ?!(07年)」、そして「裏切りのサーカス(11年)」など真情溢れるシーンで使用され、目も耳も心地よい気分に浸らせてくれた。

他にも…

「ウォール街(87年)」「スペースカウボーイ(00年)」でのフランク・シナトラのカバー、「ディープインパクト(98年)」ではトム・ジョーンズが歌ったヴァージョンが流れた、ジャズのスタンダード・ナンバー「Fly Me to the Moon(54年)」。

フランキー・ヴァリの「Can't Take My Eyes Off of You(君の瞳に恋してる/67年)は、「ジャージー・ボーイズ(14年)」は当然として、「ディア・ハンター(78年)」「陰謀のセオリー(97年)」でも効果的に使われ、ウルっとさせられてしまったし…(笑)

「ウェディング・シンガー(98年)」や「チャーリズ・エンジェル(00年)」「ラブ・アゲイン(11年)」それぞれで、絶妙のタイミングでカットインしてきたスパンダー・バレエの「True(83年)」など未だ未だあるが、やはり一番はこの曲になる…。

カナダ人のシンガーソングライター、ジョニー・ミッチェルが書き上げた「Both Sides Now(青春の光と影/67年)」。

正直に申せば、ジュディ・コリンズが歌った楽曲が使用され、邦題が同じタイトルの「青春の光と影(原題:Changes/69年)」は、鬱屈した大学生が主人公のロードムービーで、かなり地味目の印象だったし、「ヘレディタリー/継承(18年)」のエンディングとか、「トイ・ストーリー4(19年)」の予告編では、なんか不気味というか、シニカルな感じで使われていた…。

だが、「海辺の家(01年)」での、この曲をBGMにクリスティーン・スコット・トーマスが別れた夫ケヴィン・クラインとダンスをするシーンや、「ラブ・アクチュアリー(03年)」で、エマ・トンプソンが自分の部屋で独り聴きながら、涙をひとしずく流す場面など、今思い出しながらこのレビューを書いているだけで、目頭がジワ〜と熱くなってしまう(笑)。

その「Both Sides Now」が、自分がこれまで観てきた映画史上、“最高の使われ方”と勝手に思っているのが、本作「コーダ あいのうた(21年)」である。

[注:自分は元ネタのフランス映画「La Famille Bélier(邦題:エール!/14年)」を未見のため、これから記すレビュー内に、見当違いなところが多々あることを、予めご容赦お願いします…]

本作の主人公は、4人家族の中で唯一耳が聞こえる17歳の女子高生ルビー(エミリア・ジョーンズ)。

幼い頃から家族の“耳”となって、家業のタラ漁を手伝う毎日を送っていたが、新学期、合唱部に入部したことを機に自分の気持ち、身の周りに変化が訪れる。
ルビーの歌の才能に気づいた顧問のヴィラロボス先生=通称V先生(エウヘニオ・デルベス)に、ルビーは名門音楽大学バークリーの受験を強く勧められるが、両親は家業の方が大事だと猛反対。そんなルビーは家族へのサポートを優先し、自分の夢を諦めようとするのだが…という物語。

「Both Sides Now」を、ジョニー・ミッチェルは飛行機の窓から見た雲にインスピレーションを受けて、書き上げたと云われている。

「♪〜私は両側から雲を眺めている/見上げたり 覗いたりして/でもそれは私が抱いた雲の幻影/本当は雲のことなんて全然知らないの〜♪」

飛行機から見下ろす雲は美しく幻想的に見えるが、地上から見上げる雲は太陽を遮る存在で、雨や雪を降らせる。それと同じように、人生は様々な要素を孕んでいて、その局面、局面によって受け止め方が変わってくると、歌っているのだ。

喜んだり、悲しんだり、前向きになったり、不安にかられたり…常に心が揺れ動く。
正解の反対は誤りではなく、“別の正解”という時だってある。
だから、ホントの人生の姿なんて分からない。

ルビーはまさに“耳の聞こえない人の人生”と、“耳の聞こえる人の人生”を同時に見てきたワケで、そんな彼女がこの歌をいつ、どこで、どのように表現するのかが、本作の最大の見どころとなっているのだ。

高校生ながら一家の稼ぎ手の一人として、毎朝3時に起きて漁に出るルビーは、当然、学校生活との両立に苦労している。

授業中、爆睡してしまうこともしばしばで、「The US Government(日本で云えば“公民”)」の授業では、先生に「権利章典は国民の基本的人権を保障しているけど、居眠りする権利は含まれていないわ」とウザったらしく注意されるし、シャワーも浴びずに登校すれば、タカビーな上層カーストの女子たちから「魚臭〜い…」とキツ〜い嫌味を言われる始末。

また、聴覚障害者家族の中で育ったことが理由なのか、入学した頃、「アクセントがおかしい」と揶揄われたことがコンプレックスになっているらしく、だから人前で歌うことに恐れている。同級生にまたバカにされたくないのだ。

そこでV先生はルビーにこう諭す。
「デヴィット・ボウイがボブ・ディランをこう評したそうだ。
“砂と糊みたいな声だ” 
でもボブ・ディランはロック史で最も偉大なミュージシャンで、ノーベル賞も受賞している。つまり、どんな声をしているかは重要じゃない。大切なのは声で何を伝えられるかだ!」

これはデヴィット・ボウイが1971年にリリースしたアルバム「Hunky Dory」の収録曲、「Song for Bob Dylan」の歌詞から引用したもので、曲中、ボウイはディランのことをこう歌っている。

「♪〜歌を書いたんだ/砂と糊みたいな声をしたディランっていう奴についての歌だ/奴の歌詞には やられたらきっちりやり返せ!みたいな信条が綴られていて/聴いたオレたちは釘付けにされたよ〜♪」

この歌詞には引き続き、ボウイがディランの歌に魅了され、自身の音楽への情熱を再発見したことを感謝する趣旨が綴られており、V先生は更にルビーに「聴く人に呼びかけ、彼らの心を揺さぶる声で歌え!そして自分の音楽への情熱をもっと燃え上がらせろ!」と言いたかったように思えてくる。

余談ながら、V先生はこの後も、ボウイが「♪〜大事なチャンスをフイにするな/子供たちに日常を忘れさせろ/羽目を外してダンスをさせろ〜♪」と絶叫する名曲「Starman(72年)」を生徒たちに歌わせているので、V先生のキャラ設定、もしくは監督のシアン・ヘダーが熱狂的なデヴィット・ボウイのファンであることを想像させる…(笑)。
(まぁ、この曲自体“子供たちをロックで解放しよう”という歌なので、V先生がルビーの心情を慮り、束縛する両親に対してのメッセージという意味で選曲したのかもしれないが…)

さて、本心では“歌うことが心の慰め”と思っているルビーなのだが、結構なアナログ盤の音楽マニアで、部屋にはシャッグスの1stアルバム「Philosophy Of The World(69年)」があったりする(!!)。

歌の練習で部屋を訪れた、ルビーの憧れの男子マイルズ(フェルディア・ウォルシュ=ビーロ)が「へ?シャッグスじゃん!? 練習終わったら盗んで帰ろう」と言うくらい激レアなLPレコードで、これは物語に於いて、米国のガレージロックに詳しい人なら一発で分かる、重要というか、意味深なアイテム。

何故なら、シャッグスは血の繋がった3人姉妹で編成されたバンドなのだが、祖母の予言「この娘らをショービズ界で売り出せば大スターになる」を妄信した父親が、学校に通わせず、朝から晩まで家に閉じ込めて、無理矢理楽器の練習をさせ、上手くなればライブハウスと家を往復するだけという、やや猟奇的な生活を強いられ、父親からの過度な期待とは裏腹に、娘たちは嫌々音楽活動をしていたのだ…。

シャッグスの「My Pal Foot Foot」を愛聴するルビーは、間違いなくバンドのその顛末と、自分の置かれた立場を重ね合わせている。

「♪〜私の仲良しな猫ちゃん/名前はフット/今はどこかに行っちゃった/どこに行ったのかな 何をしているのかな/きっと見つかるといいな〜♪」

この曲は、猫を自分、あるいは大切な友人に喩えて唄った、ある種の現実逃避、そんな妄想の歌であり、親に抑圧されながら過ごしている忸怩たる生活、あるいは親の反感を買わないようにコントロールしている自分を歌った、“心の中の暗い闇=孤独と切望”を表現した歌だ。

因みに、シャッグスのデビューアルバム「Philosophy Of The World」は、本作の舞台であるマサチューセッツ州グロスターから、およそ50キロ離れた、車で40分ほどのレビアという街でレコーディングされており、ルビーやマイルズにとっては地元のバンド、その分、余計に親近感を覚えるのかもしれない。

閑話休題…

そんなルビーが愛してやまない、時折目の上のタンコブになる両親のキャラがスゴすぎて、二人をサポートするルビーの姿が、観ていてマジで不憫に思えてくる。

父フランク(トロイ・コッツアー)と母ジャッキー(マーリー・マトリン)が下校時のお迎えとして、校門にシャコアゲしたボロいフォードの軽トラで乗り付ける。
そしてカーステから重低音、ズンズン系の爆音で聴こえてくるのが、ブラック・オシンのラップナンバー「I’m a Hustla(19年)」。

ルビー曰く「父がラップを好きなのは、ベース音が心地よく“お尻”に響くから」とのこと…(笑)
そしてオヤジの名言が「なぜ屁がクサいかわかるか? 聴覚障害者も臭いを楽しめるからだ!!」

また、病に罹れば、問診時にその症状を医者に通訳するワケだが、なんとオヤジの病気がイン○ンタムシ。
「タマが火事になった感じで….真っ赤に燃えたチ○ポが、ふじつぼに閉じ込められたみたいだ」をハンドサインで伝えられるルビーが痛々し過ぎる…。

その旦那フランクに引けを取らないのが、きっと近所で似た者夫婦と呼ばれているであろう、ルビーの母ジャッキー。

夕食前に、スマホかiPodで音楽を聴くのをルビーは注意されるのだが、食事中、兄貴レオ(ダニエル・デュラント)の彼女探しで、両親揃って仲良く、携帯の出会い系サイトをキャッキャッキャッと大盛り上がりで閲覧。
ルビーが「出会い系サイトは見てイイのに、なんで音楽聴くのはダメなの?」とキレ気味に文句を言えば、母ジャッキーは「だって、みんなで楽しめるから…♡」とサラッと嫌味を交えて返す。

更にルビーから合唱部に入部したことを告げられれば、「反抗期に入ったの?じゃぁ、私が盲目だったら、絵を描くってこと?」と悪気は無いのかもしれないが、いつも一言多い。

相手を不愉快にさせる、余計な一言をいう人は、あくまでも個人的にだが、自己顕示欲が強いというか、「常に優位に立ちたい」という心理が動く、自分の器の小ささを表しているように感じてしまう。

ジャッキーの場合は、自分が聴覚障害者であることの劣等感、健聴者へのやっかみがそうさせているのだろう。
それが愛娘であっても、反射的に言葉に出てしまうのは、ルビーの家族、とりわけ母親は「自己肯定感が低い」と思わざるを得ない。

こんな家族に囲まれて、自暴自棄にもなりそうなルビーに、進むべき道へと導く灯りを照らすのが、先述した合唱部の顧問、V先生だ。

先ず、V先生が生徒たちに歌わせる選曲が素晴らしい(!!)
アメリカ民謡や讃美歌、ミュージカルといった定番の合唱曲じゃなく、ファンクやソウル・ミュージック。

あくまでも勝手な推察だが、入部したてで未だ歌い方に硬さがある生徒たちをリラックスさせるために、あたかも「ソウル(=心・魂)を解き放て!」と言わんばかり、選曲した感じがしてくるのだ。

劇中、合唱部の初めての練習シーン。
みんなが歌うのは、マーヴィン・ゲイの代表曲「Let’s Get It On(73年)」。

「♪〜ずっと抑えてきた/長い間 気持ちを抑えてきた/もしキミもおんなじ気持ちなら/おいで さぁ おいで〜♪」

この曲は、ハッキリ書けば熱烈な愛を求める、エッチしたい欲望の歌なのだが(汗)、V先生はこの歌詞を通じて「自分の殻を破りなさい!」と諭しているワケで、だから「ヘイヘイどうした?眠くなるぞ! 10代はイケイケな年頃のはずだろ?」と生徒たちを煽り、終いには引っ込み思案のルビーひとりだけに歌わせ、彼女の潜在的な歌の才能を開花させようとする。

そして合唱部のお披露目の舞台となる、「Annual Fall Concert(=毎年恒例 秋のコンサート)」での選曲もさらに冴えている…(というか、監督シアン・ヘダーのセレクトがスゴいということなのだろうけど…)

その一発目が、英国の歌姫キキ・ディーの3枚目のシングル「I Got the Music in Me(歌は恋人/74年)」。

「♪〜激しくなったり 冷めてみたり/何かが私の邪魔をたとえしたとしても/なんとかやっていくつもり/人生をあきらめちゃダメ!/自分で見つけた方法でやっていくのよ!/私のなかに音楽がある/私自身が音楽なのよ/これからも私は歌っていくわ〜♪」

この曲は、バンドのキーボード担当バイアス・ボッシェルが作詞・作曲したものだが、実はキキ・ディーの半自伝的ソング。

貧窮家庭に生まれ育ったキキ・ディーは、ドラッグストアや美容院で働きながら、大好きな歌を諦めきれず、父親の後押しを受けてコンテストに出場し見事優勝。そして17歳の時(=劇中のルビーと同じ年齢)、レコード会社と契約し念願のプロデビューを果たす。

キキ・ディーは、当時をこう振り返っている。
「歌手になろうという思いは、自分の声を意識してからずっとあったわ。プロになる1年前、生まれ育った環境から、私を自由にし、解放してくれるのは“歌”しかないって気づいたの」

つまり、この曲もまた、夢と現実の狭間で葛藤するルビーと重なってくる歌詞の内容で、「自分の気持ちに正直になって好きなようにやればいい」と、自分の夢を追いかけようとするルビーの背中を押すメッセージになっている。

中盤、両親の前で“手話”でボヤいた「生まれて此の方、ずっと通訳の役目ばかり…。私は歌うのが大好き。それが生き甲斐なのに…」というルビーの本音を、V先生は大聴衆の中、両親に向かって“歌”として敢えて口で言わせたのだ。

しかし、コンサートでお披露目する曲の中で、一番印象的なのは、やはりマービン・ゲイとタミー・テレルのデュエットで知られる「You're All I Need to Get by(68年)」だろう。

この曲は劇中、何度も繰り返し流れてくるが、シーン毎にその演出意図というか、使用意図が異なる気がする。

まぁ、一番の見どころ&聴きどころは、コンサートの本番、およそ1分の間XXになるシーンなのだろうが、そもそもこの曲は、V先生がルビーとマイルズに「コンサートでデュエットしよう!」と提案したもので、最初の二人の練習の体たらくぶりに怒り心頭の先生がドヤしつけた「全てを捨てて、誰かを愛する気持ちで歌え!」、その言葉が重要な意味を成す。

先生に叱咤された後、ルビーの部屋で練習する二人だったが、ルビーは自分の置かれている境遇、勝手に思い込んでいる不憫さのためか、あるいは好きな人の前で物怖じしているのか、心開けず、マイルズの顔を見て歌うことが出来ない。
そこで背中合わせになって歌う名案が浮かび、練習を再開すると、背中を通して、心の振動(=本心)が伝わったのか、息の合ったハーモニーを二人は奏でていく。

マイルズが「♪〜鷲が巣を守るようにボクも全力を尽くす/大樹のようにキミの横に立とう〜♪」と歌えば、ルビーは「♪〜打ちのめされた時 力をくれた人/一緒にいれば どんな扉も開けられる〜♪」と心を込めて歌い返すのだ。

但し自分の中で一番インパクトが残ったのが、終盤、星空の下、トラックの荷台の上で父フランクのリクエストでルビーが一人で、再び歌うシーンだ。

父フランクは娘ルビーのノドの振動(=心の声)を、塩と砂で荒れた両手で確かめながら、曲に聴き入る…。

「♪〜挫折しても あなたがいれば前進できる/もう決して後ろを振り返らない/揺るぎない愛だから/あなたさえいればいい/それだけでいい〜♪」


本作「コーダ あいのうた」を鑑賞して、思い知らされたのは“人に何かしらの考え・思いを伝えることの難しさ”だ。

相手との共通のツールである「言語」、本作なら「手話」も駆使して、自分の頭の中の概念を詳しく伝えようとしても、「共通の言葉」を選ばなければ、一方通行で終わる。

ここで云う「共通の言葉」とは、互いに相手の立場をきちんと考えて話すということだ。
端的に云えば、相手を理解するということ。
より良い相互理解が可能になれば、相手に合わせた、伝わりやすい話し方が出来るはず…。

コミュニケーションとは、一方的に考えや思いを、相手に伝達することではない。
話す人、聞く人、お互いに寄り添い、最も効果の高い意思疎通を実現しようとする行為だと思う。

劇中の序盤、V先生のマンツーマン指導を受けている時、「歌う時の気分は?」と問われたルビーは、「いい説明の仕方が分からない…」と言って手話で説明しようとする。
繰り返しになるが、会話が苦手な理由を、ルビーは「家では手話がメインなので、たまに喋る自分のアクセントが人にはおかしいのか、よくバカにされるから」と言い訳するが、それは多分、ウソだろう。

マイルズに「子供の頃、バーで父親の代わりにビールを注文していたよね?」と思い出話されていたように、ルビーは「家族のため」を第一に他者とコミュニケーションをとってきた。
たとえ表情に出さなくても、みんなの気持ちを汲み取って「家族にとって善きこと・家族が望むこと」を優先して行動してきたのだ。

ルビーにとっての「共通の言葉」は、手話でしかない。
自分を形成する幼少期に刷り込まれた、“価値観”に抗えないこともあるだろう。

つまり、ルビーは家族以外の他者、相手の気持ちを計り知ることが苦手であり、さらに云えば、ルビーは自分の本心をちゃんと言葉で伝える術を知らないというか、心情を吐露することを恐れている。

そんなジレンマに陥るルビーは、堪えきれない思いを一度だけ、V先生に「“家族”抜きで生活したことがないの…」とブチまけるのだが…。

何かの本によれば、手話でのコミュニケーションは、相手の表情や身振り手振りを見なければならないため、その分、相手の感情や機微に触れられて、逆にコミュニケーションを深められるというが、ルビーの家族の場合、その“家族”と云う言葉が、時に枷に、時に盾になり、「相手を守る、相手に守られる」という考え方に時折ズレを生じさせてしまう。

「聴覚障害者家族の中で唯一の健聴者」という現実が、ある種の隔たりを生んでしまったのだ。

その緩和剤となったのが、歌=心の響きだったのだろう。

コンサートを終えた夜、家の軒先で、星空見上げた父フランクは、手話でルビーにこう呟く。

「ここで見る星は、海で見る星ほどキラめいていない…」

これは、ルビー自身のこと、彼女の将来のことを熟考して、吐いた言葉だ。
こんな片田舎で家族を養うためだけに生きているルビーよりも、コンサートで歌っていた姿の方が何倍も輝いていたということなのだろう。

自分を含めた妻・息子は聾者だから役立たずと勝手に自戒し、ルビーに助けを求めていた父親が、劇中初めて、娘のことを理解し、将来を案じて、胸の奥から発した言葉だった…。


最後に…
もう一度、改めて「Both Sides Now」についてチョットだけ書かせて頂きたい。

今から10年ちょっと前、たまたまバンクーバー・オリンピックの仕事で会場を訪れていた時、その開会式、少年が草原を走り出し、ワイヤーで宙を飛ぶパフォーマンスのシーンで、この曲が流れたのだ。

当時、フリーランス、その一歩を踏み出したばかりで、期待と恐れを抱いていた自分は、この曲にジワジワと惹きつけられてしまった。

地元カナダ出身であるジョニー・ミッチェルが歌ったこの曲が、“民族の融和”をテーマにしたオリンピックに、「なんて相応しい歌だ」と共感させられたことはもちろん、「巡る季節を重ねていくうちに、物事に対して違った見方が出来るようになる」と歌っていること、多元的な価値観を肯定していることを、不惑の年をだいぶ過ぎ、これまで世話になった会社を辞め、フリーとして一本立ちしたことで、ようやく理解できたのだ。

「Both Sides Now」を直訳すれば、「今、二つの側面から」という意味だ。

繰り返しになるが、見る角度を変えれば、見え方もまた変わってくるということであり、そしてこの曲での、二つの面とは“過去の自分と現在の自分”を指しているのだろう。

この曲は、「雲」と「愛」、そして「人生」を歌った3つのコーラスで構成され、それぞれ、過去の自分と現在の自分の見方についての歌詞になっており、結局、その対象について「何もわからない」という言葉で締められている…。

若い頃は分かったフリをして、年を取ると分からないフリをする。
もちろん、その逆もある。

要は、物事全般、他人も、自分のことも、一方的にその時のことだけで決めつけるな、ある側面だけで判断するなということなんだろう。

母ジャッキーはルビーをお腹に宿した時、健聴者の子供が産まれてくることを恐れていた。
それは、将来自分が満足に育てることが出来ない自信の無さ故だ。
でも今は家計を支える重要な役割を果たしてくれる、かけがえの無い可愛い娘。

逆に兄貴のレオは、ルビーが産まれた時は「可愛い妹が出来た♡」と喜んでいたはずだが、今では妹のクセに健聴者だから重宝されて、自分は兄貴なのに無碍に扱われていると、ひねくれた考えを持っている。
「お前が生まれるまでは平和だったんだぞ!うせろ!」と、ルビーに向かって言葉を荒げたりする。

そんなルビーは、劇中の終盤、手話を交えて家族の前で「Both Sides Now」を歌い上げる。

「♪〜涙や不安 そして誇りを感じて/言うのよ 愛してるって大きな声で!/夢や計画 喝采する群衆/私は人生をそんな風に見ていた/(中略)見方を変えて人生を振り返れば/失ったものもあれば得たものもある/毎日生きていればそんなこともあるわ/私は両側から人生を眺めている/勝つこともあれば負けることもある/でもそれは私が抱いた人生の幻影/本当は人生のことなんて全然分からないの〜♪」

無理だと思ったこともトライしてみよう。
イヤだと思った相手も受け入れてみよう。
その先はどうなるのか、誰もわからない。
だから前向きに生きよう。
そんな気持ちで周りの人たちと支え合っていこう。

10数年前のバンクーバーの夜でも、そして本作「コーダ あいのうた」鑑賞中でも感じたことだが、この曲はそんなエールを送っているように聴こえてくる。

本作の原題「CODA」とは“Children of Deaf Adults(=聴覚障害者の親を持つ健聴者の子供)”の略らしいが、音楽用語での「楽曲の締め括りの部分、新たな章の始まり」の方が、一般的に知られているだろう。

これらをひっくるめて、改めて思い直すと、「CODA」にはもう一つの意味があったように感じてしまう。

父、母、兄が奏でた組曲に、最後の最後、“過去への感謝”と“未来への思いやり”の気持ちを歌に吹き込み、家族を再びひとつにさせた「末っ子」ルビーのことを指しているように思えてならない…。


あと、ホントにどうでもイイことだが…

気になったのが、マイルズが合唱部の練習中、キング・クリムゾンの「Discipline(81年)」のジャケットをプリントしたTシャツを着ていたこと。

まぁ、5、6年前だかに流行った、AC/DCとかメタリカなどオヤジ系ロックを一度も聴いたことが無いくせして、ロゴTを着ると可愛くまとまるといったZ世代のトレンドの流れなのだろう…(笑)

余談ながら、この「Discipline」はキング・クリムゾンが再結成された時のアルバムで、サウンドにアフリカの民族音楽や、当時流行っていたディスコサウンドを導入したことなど、その様変わりしたスタイルは賛否両論を招き、本国英国並びに米国でも、アルバムチャートの最高順位は40位前後と、あまりヒットしなかった。


そして何といっても本作で一番驚いたのは、V先生がバークリー音楽大を卒業したのが1989年と判明した時。

いつも首にマフラーを巻いたビミョーな感じのオシャレをしていたので、結構なオッサンだと思っていたのだが、なんと、自分より年下だったのだ…(ちゃんと現役で入学し、4年で無事卒業できた場合だけれど…爆)