賽の河原

私をくいとめての賽の河原のレビュー・感想・評価

私をくいとめて(2020年製作の映画)
3.4

『私をくいとめて』、絶対に観たかったんですけどなんとか最終日のアップリンク吉祥寺で滑り込んで鑑賞できましたね。原作綿矢りさ×大九明子監督の組み合わせは、言うまでもなく2018年公開の『勝手にふるえてろ』という俺の映画史に残る大傑作を彷彿とさせる組み合わせですよね。これを見逃す手はないわけですよ。というか、この組み合わせの映画が観られるだけでもうある程度優勝してますよね。#最高 #優勝
オープニング。主演ののんこと能年玲奈さんが合羽橋でおひとりさまで海老天の食品サンプルを休日に作るシーンから始まるんですけどね。んで、家に持って帰ってきた海老天をどこに飾るかイマジナリーフレンドと独言ながら話すっていう。
もうこのオープニングから綿矢りさ全開っていうかさ。主人公といい、設定といい、実に綿矢りさ作品らしいディテールの拗らせ感ですよね。「休日に一人で合羽橋で海老天の食品サンプルづくり」っていうのが、さながら「アンモナイトの化石を購入して、部屋で一人化石を愛でる」みたいな「ちょっと歪な拗らせ感」の主人公が実に綿矢りさ的。これって先日観た『花束みたいな恋をした』における坂元裕二調の台詞回しみたいなもので、実際のリアリティでは考えにくい一癖ある造型のキャラクターですよね。
『花束みたいな恋をした』で言えば、台詞回しはぶっちゃけキザなところもあるんだけど、坂元裕二の描くキャラクターのサブカル感とかがあまりに生き生きしているために、リアルな人物がオシャレな台詞を応酬しているように見える。
一方で『勝手にふるえてろ』にしても本作にしても綿矢りさ的なキャラクターは、キャラクターそのものが拗らせている上に、かなりの変わり者な感じがするキャラクターですよね。
例えば「中学生のときの初恋を引きずったままのアンモナイト好きOL」にせよ、「休日は合羽橋で食品サンプルを作るのを楽しみ部屋では脳内のイマジナリーフレンドと声を出して会話するマン」とかさ、どう考えてもおかしな人なんですよ。つまり小説ってメディアでは成立しうるけれども、映画という極めて現実的なメディアに翻案した際に、かなりきっついキャラクターになる、そういうバランスが「綿矢りさ」なんですよね。
だからこそ本作を中盤まで観て思った印象って実を言えば一つしかなくて、「松岡茉優ってバケモノだな」って話でしかないんですよね。もうこれはのんさんの力量とかそういうレベルの話じゃなくてね。後でも書きますけど、のんさんも一流の見事な仕事をしてると思うんですけど、『勝手にふるえてろ』はマジックとしか言いようのないキャスティングの妙が起こってますよね。
もはやこれは映画の外も含むレベルになるんだけども、プライベートでも猛烈にモーニング娘。を推していることで知られる松岡茉優のテイストって、やっぱり家でアンモナイトいじっててもおかしくなさそうなんですよ。
でものんさんが海老天のサンプルつくって喜んでるっていうのは、なんか変なんですよ。もっと言うとね、映画秘宝とかでも連載持ってて大変にのんさんが面白い方だってのは承知してるけど、「女性の生きづらさ」みたいなのを早口でまくし立てる拗らせ感って「ちょっと違うかな?」みたいなね。どっちかっていうと『あまちゃん』的な天然ストレート感とか『この世界の片隅に』的なヌポーっとしてるけどそれ故に鋭さを持つ、みたいな役回りが合うタイプだから、見事に演じているとは思うんですけど、綿矢りさ的な登場人物を「演じている」感は拭えない。そこが序盤のリズム感を損ねている感じはするんですよね。
これはのんさんが悪いというよりはむしろ『万引き家族』だろうが『勝手にふるえてろ』だろうが『劇場』だろうが高水準でこなしてしまう松岡茉優さんが単純にバケモノなんだと思います。
じゃあのんさんが今ひとつなのかと言えば全然そんなことなくてね。まず話し方の雰囲気は素晴らしいですよね。昔教えたことある生徒と全く話し方が同じで、観てる間「この能年玲奈、アイツじゃね🤔」ってずっと思うくらいには実在感がありましたよ。
大九監督は前作もそうでしたけど、最近の作品は軸足を女性寄りにかなり持ってきている印象でね。今作でも、かなり女性の生きにくさ、生きづらさに寄り添ったストーリーになってましたね。労働する女性描写も、ちょっと他の映画作家が及ばないレベルで細かいディテールまで描かれていて、物凄くリアルっていう。
女性に軸足を置きつつ傑出しているのはイタリアのくだりなんですけどね。もう僕は本当に何も映画について調べないで観るので、ここで登場した女優さんとのんさんが一つのショットに収まってるだけでもうちょっと涙ぐんでしまいましたね。この2人が共演した作品と、本作における2人の関係も呼応してるし、ちょっと映画外のバックストーリーも含めてここは見事なシスターフッド映画になっているとしか言いようがない。本当にこういうシーンを見せてくれて感謝ですよね。
ただし、ちょっとストーリーはとっ散らかってますね。もっと言うと133分は長く感じましたね。大九監督らしい、映像による飛躍を用いた印象的なシーンがこの映画ではいくつも出てくる。例えば『勝手にふるえてろ』で言うところの歌シーンだとか、卓球シーンだとか、山の上での夜景シーンみたいな飛躍みたいなシーン。この映画でのそれも、それはそれで映画的な飛躍だし美しいシーンなんですけど、ちょっとこの映画においては不必要に映像のマジックを狙いすぎてるように思いましたよね。映像のマジックに偏重してるのも問題だと思う。
例えば飛行機での大きな飛躍のシーンがあるんだけど、あれはあれで見事なシーンですし、最後まで映画を観れば必要だったと分かるけれども、前から順を追って考えるとあれは最後のシーンありきで作られた飛躍であって、あのシーンを中盤で意味を持って楽しむには長いですよね。
クリーニング屋の犬の件とか不必要なディテールも残ってるって言うか、割とストーリーがあっちいってどうなるでもない、こっちいってどうなるでもない。恋愛の話や仕事とか社会の生きづらさの問題とかシスターフッドとか現実と向き合う件がこんがらがってて、こんがらがってる割には物語に分厚さがなくて、ちょっと時間のわりには描けてる物語の効率が悪いように思いましたね。
でも、達磨一家の林遣都くんは死ぬほどいいしね。大九映画感のある臼田あさ美さんも最高ですしね。普通に満足。ブチ切れるのんさんも最高だし見所充分でしたね。
賽の河原

賽の河原