ニューランド

明日は日本晴れのニューランドのレビュー・感想・評価

明日は日本晴れ(1948年製作の映画)
4.4
 満席で辛うじて座れて、また、立派な解説も付いて、初めてそんな作品なのか、教えられ、身構えた。私等より遥かに多くの映画を観てるが、何よりキネ旬ベストテンがベースとの知人の姿はない。前評判とは別に全回に来てる別の知人は、しっかりいい席を取っている。始まると、案の定、役者の喋りのリズム·内容とも、のろく、ダサく、とてもベスト云々ではない。しかし、それは、評論家の佐藤忠男さんのこの作家を、溝口·小津クラスの天才、と評したのを見て、ほんまかいな、と観にいった初めての清水映画、内容も山奥の貴重で大事な住民の足、乗り合バスの運転手を主人公にした『有りがたうさん』も、どうにも感情なし、棒読み台詞だったを、思い出す。そしてその映画は、正に驚くべき斬新·自然·造型の大傑作だった事も。その時、'70年代後半当時は、少なくとも世界レベル、或いは若者レベルでは、世界に誇る巨匠は、溝口·黒澤·小津(本格世界ブームへ、の頃)、辛うじて大島、位で、一般認識の日本映画のレベルは、そんなに高くなかった。しかし、この頃より、上記3~4人以上の大作家、成瀬·田坂·吐夢·増村、そして清水らの名前が、クロースアップされてゆく。
 本作『明日は~』は、やはり意表を突き、大傑作であった。その予感は、タイトルにもあった。溝口健二だけに限っても、三木や宮川に並ぶ、偉大な成果を、先の2人に比べるとより落ち着きケレンを排して成し遂げた·撮影監督杉山公平がクレジットされてた事だ。『有り~』的な、全編僻地移動ロケと時代の日常の全体を写し出す様々なキャラ·関係、同じく代表作の『按摩と女』の野外を歩く実感と障害者が絡むより本質的コミュニケーションの模索·達成、と内容的にも、一般的にも個人的にも手取り早いものの、寄せ集めとも取れなくもない作品。それを、劇中も撮影も刻々変わる、シチュエーションと造型の、真のダイナミズム·切迫感·親近感距離測りで、独特で例のない、映画やそのイズムを超えた物が出来上ってる。変にドラマを持ち込んだ台詞や動きのリズムを、避けた独特ののろくしつっこく確認し合う、やり取りは劇を越えて染み込んでくるようになる。
 16ミリ縮小版とはいえ、カメラの力·才·選択眼は十二分に伝わる。Lが弱くなってるカットもあるが、概ねオリジナルに近いのではないか。故障したバスの下に入って修理するアングルだけでなく、砂利の多い山道を縦に捉えたローアングルの割合が、多すぎくらいで、それは本作が人の立つ·歩く·そのベースから捉えんとしてるせいで、立体的な訴求力·反ドラマ抽象化に向かわす(時折の俯瞰めもポイント効果を持つ)。清水らしいどんでんや長く伸びゆく縦フォロー移動もそうだが、縦の図の僅かな角度変、路上端に座った2~3人の縦の切返しに90°変の別の切返しが結ぶ、等の他の人では誤魔化しになるものが、より尖鋭度·透明度合を増すような配置の行いに時に発展する。スクリーンプロセス等は一切なく、動き流れる車窓(初終はうねるような前方からの主観移動)だけでなく、バス故障·崖道に皆佇んでよりは、背景の霧·空と雲·暗さも、感覚的予想を越えてどんどん変わってゆく、迫りくる何かを与えてく。これに、バスを皆で押すだけ押して止まった後の、無賃追いかけ、代車待たずに返金してもらい歩き出す、残った者の心持ちの動揺、等での時間差·色んな方向の縦フォロー+αが拡がりを加えてく。
 税金もバス運賃も割に合わない位こたえる、闇市仕入れも検挙·剥奪の割合で割悪い、あの派手なここにそぐわない女は? どうせバスは直らないが乗客に納得して貰う為修理の真似ごと、滅多に来ないトラック他にバス動けずわ伝えて貰い代車待つか、取り敢えず10何キロを歩くか、逆方向のバスで戻るか、等ショボクレもから元気の話しや、お互い打ち解けさらけ出しもある話が、続くが、背景に戦争体験がひそみ·影響してる、しょうことなしがはたらいてるも、浮き上がってくる。
 片足を失ったり·満州事変で盲いたの·からの陽気な心までの復帰、無傷で残った隊長·閣下への指揮の無軌道への根っこからの問い、亡くなった部下の遺族への訪ね歩き、戦争による浮浪児への配慮と返し、借金苦で村離れるも·その先で出来た子を埋め·亡き母の為の一時里帰り、思わぬ再会~同級友人や恋を誓った仲と。その中、残り抜け出る、近場で今生まれ育つ恋と未来の意識。
 これらを、引き出し束ね、変化·味付けをするのが、『按摩と女』の当り役を10数年ぶりに再演したかのような日守で、見えないのに、バス内の男女比や履物らを次々当てて、共同作業にも普通に参加、皆の話題の中心となり、展開を転がし、早め、意外へも突っ込ましてく。唯一読む取っ掛かりもないのが、聾唖の82歳の爺さんで、互いに相手を掴めない危ないやり取りは、ちと遣りすぎ感も。ただ、打ち解け合うと両者とも健全家庭持ちと分かり、励まし合う。そんな彼も、片方は敢えて知らんぷりの戦争前カップルを探り当て、焼けぼっくいに火をつけようとするが、余計なお世話だったことが分かる。「流石のフクさんも、(運転者のセイさんと、共に東京に出てと誘うワコちゃんまでもってくも、出てはならない車掌さんの想いを)読めない·当てられない事もあるんだね。(皆、やっと来た代車に乗ったり·拾って貰うが)二人だけは、残って時間を持つのが大事」
 65分という歪な長さの作だが、この長さ·企画でしか表せない、時代の真実と重さと希望の纏めのかたちがある。個人的には、清水は映画史上最高傑作といっていい作を物してるし、松竹を離れての戦後も、遺作迄凄い作品揃いで、年間ベストクラスの大傑作の数でも上回り、小津や黒澤以上の存在かも、の印象。
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