たけのこ

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のたけのこのレビュー・感想・評価

5.0

主義主張が異なる者同士でありながらお互いをリスペクトする連帯感が感じられ、心に充実したものが残る内容でした。愉快な体験だったと三島が言うのも分かります。今後も繰り返し見てみたいです。

時代の熱量が凄い。今の日本にも政治に不満を言う人は大勢いますが、それが暴徒化して集団で火炎瓶を投げたりすることはないでしょう。それがまだ50年ほど前の話。

戦中における「国の運命と個人の運命がリンクしている陶酔感、高揚感」、戦後におけるその欠落感という証言者インタビューが腑に落ちる感じでした。右翼も左翼もその欠落感を埋めたいという目的は同じで、それを求めるためにどちらの立場に立つかという違いだけなのかもしれない。

①三島に対する印象
三島は良い意味での人たらしだったのでしょうね。ユーモアのセンスがあり人間的な魅力を感じます。
論戦相手に対する紳士的なリスペクト。相手の主張に対し丁寧にマイクを差し向けて傾聴する三島の姿が印象的。ディベートのあるべき姿だと思います。相手の意見に耳を貸さずに声高に自己主張ばかりする人に爪の垢を煎じて飲ませたいです。

②芥の強烈な個性
このイベントを伝説の討論会たらしめたのは、三島にも引けを取らない芥のギラギラした強烈な個性があってこそでしょうね。今の時代であれば完全に職質モノ。ひろゆき似の論破顔?
芥が三島のタバコに火をつけるシーンに論戦相手へのさり気ないリスペクトが感じられて好きです。ゴルゴが原発技術者のタバコに火をつけるシーンに通じるものがあります。三島にタバコを一箱返せてないというエピソードもなんかいいですね。

③他者との関係性
無国籍たる自由人としての芥と、日本人としての宿命に殉じる三島との対比が象徴的でした。
人は誰でも自分が生まれ育った時代や個人史的な出来事との関係性から逃れることはできない。三島を含む大勢の若者に影響を与えた戦中・戦後という時代背景。三島の思想における天皇という存在と、その天皇から銀時計をもらったことによる個人的な関係性。
芥の言う解放という概念にしても、他者から何らかの制約を受ける状況があってこその解放であり、他者との関係性から完全に逃れることはできないように思います。私自身もなるべく固定観念に捉われない人間でありたいですが、今の時代や自分の生い立ちによって形作られているものが厳として存在しているように思います。

④解放区という概念
語感から受けるイメージでしかないですが、解放区とは、既存の社会規範などに全く縛られることのない空間?
最近のポリコレやダイバーシティって、「多様性への寛容」であるようでいて、「ポリコレに反する表現への攻撃的な不寛容」になっている気がします。そのような悪い意味でのポリコレ縛りや行き過ぎた自主規制のない、真の意味での「解放区」はどこかに存在するのか?
今やスポンサー企業が絡んでいるようなメジャーなコンテンツにそのような自由はなく、もしあるとすればそれはアングラ演劇的な表現形態ぐらいかもしれません。
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