アラサーちゃん

17歳の瞳に映る世界のアラサーちゃんのレビュー・感想・評価

17歳の瞳に映る世界(2020年製作の映画)
3.5
17歳シリーズに弱い私。かねてから「17歳」っていう存在の、はかなげで、危うくて、繊細な美しさを信じてやまないのですが、今回もまた良き「17歳」が誕生してしまいましたね…

望まぬ妊娠をしてしまった17歳のオータム。いとこのスカイラーが付き添い、はじめてのNYで誰にも知れない中絶手術を受ける決心をする。

作中、さまざまなーンの端々で、リアルな17歳の女子が感じる「男性の下心」はさりげなく映し出される。こじれて別れた男からの誹謗だったり、中年親父からのセクハラだったり、ナンパ男の常套句だったり。関係を持ったなんてことない会話から糸口を見つけてパーティに誘い出す。関係を持った男のグループがあからさまにこちらを見ながら話している。お酒を飲ませてボディタッチを繰り返す。うまいこと言ってふたりきりになろうとする。
17歳をとっくの昔に経験した私ですら「ああ、あるある、キモい!」と思わず鑑賞中に大きく頷いてしまうくらいに。

それだけに注目してしまうとただただ「キモチワルイ」を実感するだけで終わるのですけど、やっぱりここは17歳が主人公というだけあって世界観が本当に素晴らしい。
初めて訪れる都会。味方にも敵にもならない大人たち。
喜びも、驚きも、絶望も、心のないロボットのように無表情を繕った仮面の下には、まだ知らないことばかりで怖がりな、小さな17歳のリアルが存在する。
それが強く描かれるのが、カウンセリングのシーン。オータムがリリーと向かい合うなかで、どこからかオータムのアップだけが長回しで映し出される。リリーの優しく解きほぐしてくれるような質問とオータムのそっけなく曖昧な回答、間合い、表情、やがて真に迫ってくるその意味。
あのシーンだけでもすごく刺さるものがあった。性行為、妊娠、中絶。淡々と描かれていても、17歳の身体に背負うにはとんでもなく重たい荷物だったのだ、と改めて気づかされる。

そして、何よりスカイラーが素晴らしかった。お洒落をして人懐っこく、意図せず男性から好意を持たれるオータムのいとこ。いわばオータムと正反対。そんな彼女は妊娠が発覚する前からオータムのことを常に気にかけている。
媚を売らないオータムは一見気が強そうに見えがちだけど、どちらかといえば実際のところ芯が強いのはスカイラーの方ではないかな。うまく言えないのだけど、例えば、反対の立場にあったとき、オータムは咄嗟に売り上げ計算のときにあんな行動に出られたかな、スカイラーのために着いていったかな、何も聞かずに何日も付き添ったかな、絶食の彼女に付き合って何も食べず、男に誘われても揺れず、彼女の元に帰って来たかな、…なんてね。
スカイラーを見ていて、改めて感じる。本当の親友っていうのは、マシンガンのように語り合ったり、ぎゅっと抱きしめ合ったりしなくていいんだよね。ただ黙って隣にいてくれればいいの。言葉がなくてもわかりあえるの。少しとげとげしてしまっても、何もなかったようにいつも通りの存在でいられるの。落ち込んでいればたいそうな言葉で慰める必要はなくて、自分のリップをひと塗りしてあげる、縛っていたヘアゴムでくだらない手品を見せてあげる、食べかけのパンを分け合いっこする、それだけで十分。
そういうティーンエイジャーのリアルな描写がとてもよかったし、惹かれた。バスで寝ているスカイラーに「乗り換えよ」「なぜ?」「乗り換えだから」っていう会話、好きだったな。

ところでネタバレになるけど、父親はやっぱりそうなのかな。あるいは、単に「父親のさりげないひと言、冗談も、ティーンは繊細に受け取る」というあらゆるシーンに散りばめられた「17歳の瞳に映る」男性の下心に対する不快感アイテムのひとつとしても取れるな、と思う。そういう意味では余韻のつくり方に関心した。

ちなみに私の「17歳」シリーズ。ジーン・セバーグが無垢で可愛らしい「悲しみよ、こんにちは」やフランソワ・オゾン監督の「17歳」、我らがティモシー・シャラメが圧倒的に美しい「君の名前で僕を呼んで」、他にも「青の炎」や「さよなら、退屈なレオニー」など。
ここに挙げる限りで、17歳といえばいろんな意味で「ひと夏の経験」が題材だと思っていたのだけど、こういう冬景色もまたいいですね。