ヒデ

戦争と女の顔のヒデのネタバレレビュー・内容・結末

戦争と女の顔(2019年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

「あなたは私の子を死なせた。新しい子が欲しい」

時は1945年。終戦直後のレニングラードで、傷を抱えながら生きる二人の女性の物語。

戦場での経験からPTSDになったイーヤと、自分が戦場で産んだ息子をイーヤに預けて戦い続けていたマーシャ。二人は親友であったが、ある日PTSDの発作でイーヤがマーシャの息子を殺してしまい、その直後にマーシャが戦場から戻ってくる。

なんとも辛い出だしから始まるが、息子が死ぬのは序の口で、何より辛いのはマーシャがイーヤに「自分のために子を産むこと」を強要すること。

彼女は戦場で被弾し不妊の身体となってしまったが、自分の心の安定のために"息子の代わりとなる子供"を求めていた。一方のイーヤはマーシャのことを愛しており、彼女の役に立ちたいと思いつつも、男性に抱かれることへの嫌悪感を隠せずにいた。男性と性交したくないイーヤが子供を産める身体で、産めないマーシャが母になりたがるという運命の皮肉。

マーシャは「私の子供を殺したことへの償いをして」と言い、イーヤへ妊娠を迫る。イーヤは最初は断るが、先のない患者を密かに院長と安楽死させていた秘密がバレてしまい、院長と無理やり子作りをさせられることに。マーシャが自分のいるベッドでイーヤと院長にセックスさせる絵面はマジエグかった…。

安楽死のシーンも印象的で、全身麻痺のステパンに安楽死の薬を打ってから、タバコの煙をふかして吸わせてあげるシーンが心に残った。そしてそれをすぐに吸えなくなってしまったステパンの姿も。

マーシャが結婚のご挨拶の時に「自分は元慰安婦だった」と告白したのはビックリしたけど、最後は隠れDV男のサーシャ&選民思想の両親と決別して、イーヤの元に戻ってきたのは救いだった。重くて辛い話の最後に差した、一筋の希望の光。

ストーリーの中に明確な悪役はおらず、悪として描かれるのは"戦争が生んだ悲劇"のみ。イーヤにセクハラしてくるジジイも、元慰安婦を差別するサーシャの両親も、脅迫に屈してイーヤを抱いた院長も、誰もが悪としての一線を越えることなく、対話ができる範疇にいた。そして時に自らの葛藤も見せる。登場人物に圧倒的なリアリティがあるがゆえ、戦争がもたらした地獄がより強調されていると感じた。

原題の「дылда(のっぽ)」はイーヤのことを指していると思ってたけど、調べてみたら戦後の社会を生き抜いていく女性たちの、ぎこちなさ、醜さ、品のなさを意味する言葉でもあるらしい。


以下、セリフメモ。


「パーシュカをあなたに託した。私は帰らなかった。あの子の母親なのに」

「"夫の仇を討つ"なんて言ってさ。仇は討ったけど」

「あの子は死んだの?」
「…そうよ」

「軍の女だ。食べ物を渡せばヤらせてくれる。軍服の方は俺、お前はのっぽだ」

(車の中でサーシャの手ほどきをしながら)「私に任せて」

「(あのSEXは)必要だった。体の中に人間が欲しい。わかる?子供が欲しいの」

「妊娠してるかも」
「…手術をしてるだろ?君の中に命を産む器官は残っていない」

「もう人間じゃない。妻は俺を引きずって帰るというが、その先は?」

「だが君は産むことができない」
「のっぽが産む。私に償うの」

「お願い…もう一度子作りをさせて…彼女の…主人になりたい…」

「(サーシャの両親に挨拶に)行くの?」
「行かないわ。止めるなら」

「お相手がいた。つまり俗にいう"戦地妻"だったのね。あなたの役割は兵站部隊の支援だったと?」

「最後の夫?戦地でのことなんて覚えきれないわ」

「私は有能だった。2年間カラダで稼いでパンを得た。そして無傷で生還した」

「でも私は不妊。何度も中絶した。私の子は戦友が産む」

「女の人が撥ねられた。のっぽの女性よ」

「私の身体の中は空っぽ。私は役立たず。誰も入ってない」

ヒデ

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