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処刑人の42のネタバレレビュー・内容・結末

処刑人(1999年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

映画はこういうフィクションを作れるからいいね。

彼らも真剣だから人の心を自然と動かしていく。自らは問わない。自分たちで考えさせる。
どうしても許せないことが山のようにあって、それが繰り返されているのに人間が作り出した法で裁けない。だったら神の使いとして自分たちで殺す。

いつまで続けるかは考えない。
神をどこまでも信じ続けられるか。

息ぴったりの銃の構えかっけえ〜
何が正しくて何が悪で、彼らはどうなのか、世の中はどうなのか、そんなこと今は考えたくない。ただ単純にめちゃめちゃかっこよかったな。

こうやってはっきりと罪を犯した者たちは俺たちが殺すって言ってくれたらいいのにね。
それは私に罪が何一つないってことじゃなくて私にも罪はいくつもあるけど、人の心を壊して全てを人になすりつけて、嘘ついて精神的外傷を負わせたのに、それでも尚、笑っていた人たちの罪を彼らが裁いてくれたらよかったのにと思ってしまった。その考えが間違っていることは分かっていて、その上で、それでもやっぱりそう思ってしまった。私があのとき間違ってたのなら私は殺される覚悟をするだろうし。
では彼らの罪は誰が裁くんだろう、彼らの後継者が現れる?それとも神が?って考えたけど彼らもきっと裁かれる覚悟はあるのでは?それも含めて神に委ねているんだと思う。いつ殺されてもおかしくなかったし、実際殺されそうになった場面いくつもあったし。

"自分は神と共にある"ということをあそこまで真剣に信じられる人ってなかなかいない。映画の中でそれを観られてよかった。フィクションでも、「そういうことか」って分かった。

確かにこういうのって「死」が手っ取り早いけど、そういう方法がまかり通るくらい世の中も人間も単純にできてはいない。短時間で解決したように見えても根本的な解決にはならない。だからやっぱりゆっくりやっていくしかないんだな。これはフィクションだからかっこいい。でもこういうフィクションがあるから現実と向き合うことができる。
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