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ミッドサマーのotomisanのレビュー・感想・評価

ミッドサマー(2019年製作の映画)
4.0
 秘数9を奉じるホルガの民の前回の祭りは1929年。その年、大恐慌が起こるのは9月、直前の夏はまだ景気のよさそうなアメリカで一旗揚げようなんて向きもボチボチいただろう。つまり誰が不意にいなくなってもさして気にならないし、失踪が明らかでも追跡手段だってないし、という事だ。
 今回の祭りには英米から女二人に男四人が参与者として調達される。みな人類学などの学徒と見え、あの奇習へのぶっつけ本番にも一定の耐性ありと見込まれた者たちだろう。最初の老人二人の死に耐えてもらえないと90年に一度、誰も先例を覚えていないこのお祭り、どんな首尾になってしまうか。

 どちらかといえば、あんな上出来な展開になるとは思わなかった。
 死者二名に動揺する参与者たちに落ち着いて離間策を施し、もうムリな二人を先ずやんわり隔離して拉致隠蔽、逆に論文ネタと入れ込んで揉め始める二人には調停役のように介在し引き寄せ、あとは色仕掛けもなんでもあり、主催者は大健闘だ。
 あれらに筋書きと参与者たちの不規則行動を抑える幾重かの支援体制があるのは間違いなく、どんな黒子をこっそり配しているのだろう?
 また、アメリカの四人をスカウトしたペレによる人選と手際を想像すれば、ペレ当人の生い立ちの件、その両親があのコミューン内で「焼死」を遂げた事、人類学徒らへの接触も含め、少なくとも約二十年に渡る周到な準備で参与者の誘引の在り方が検討されてきたことが想像される。
 加えて、あれだけの規模で計十人の供儀を平然と、といっても最後のクリスチャン・クマ焼きでは供腹を切る格好のコミューンメンバー二人が焼かれる熱さに耐えかねるのを共感受苦するのか、ざまあみやがれと笑ってるのか分からないような有様であったが、ああして受苦の共感を通じたコミューンの意識の斉一化が果たされるには、この大祭の90年の間に幾度もより小規模な供儀を伴う祭礼が予行演習的に行われ、この大祭の手順の継承、参列者と黒子たる補助者の厳しい人選、それと同時に、あの自然とホルガ社会との環境下で生きる仲間たり得ない黒子未満をより分ける淘汰というべき事の手段にもなっていたに違いない。
 となると、このホルガ信仰団は平生どのような活動をしているのか?あの耕作には不向きで放牧もどうかという野山にひっそりと、あればかりの人数で信仰生活を通しているとは考えにくく、またあの現場も常住の集落とは見えず、さらにペレのような外部でこの大祭を目指して活動するメンバーの配置もそれなりな負担でもあるだろう。そうしたあたりも勧誘を盛んにして寄付金をねだる余所の教団とは様子が違って見える。そうした教団で実はこっそり殺人秘儀やってます、なんてあとから口が裂けてもいえまい。
 こんなあたりが秘密結社の秘密たるところで辿っていけばどんな金脈か、どこのどなた様までたどり着くだろう?

 このように眺めてくると当然ペレをはじめとする対外業務員の活動範囲が気になってくるだろう。有態に言えば彼等の仕事は工作員である。
 例えば、身寄りのない女性一人をスカウトするなら、自殺を図りそうな気味の妹がいて、彼女の道連れになっても異存の無いような両親もいて、彼ら3人が集まる状況を工作できる位置にいて実際に手を下せる人間である、という事だ。
 ペレひとりで足りるかは知れないがペレをオフィサーとした秘密のチーム、これまた黒子らがダニーをあんな風に天涯孤独にしてクリスチャンへの依存を強めさせホルガへの同行に傾斜させるのである。
 なら彼女の適性があれで可とされるのか?そこがそれ、それを見極める眼力養成のためにペレは二十数年をコミューンによって磨き上げられてきた次第だろう。そんな選ばれた息子のためにペレの両親は喜んである年の儀式で炎の中捨身した、とも考えられるだろう。
 そして当然ながら、大祭工作の腕前の彫琢のための前年祭、また第何回目かの間の祭りの準備をもって、大祭を担えないだろう先達の手解きを受けながらペレは経験を積み、この大祭のときあの4人を調達すべく工作技巧の精度を高めて来たのだ。
 また、それと同時に、あれほどの事は他の一般参加メンバーにとっても生半な事ではあるまいから大祭でのあれらの事を法悦裡に受け止め得る者だけを精選する過程として諸々の祭りは行われ、彼等選ばれた者たちの90年に一度の大祭に臨むのだ。

 この一件では、ダニーが参与者6名中唯一生き延びそうな動静だが、これは、もとより決定事項であったと思う。生け贄も秘数に倣い9名であれば、ペレの想い者でもあるダニーが存命なのは当然だろう。してみれば、ダニーの家族を抹殺したペレの工作もより意図的に計られたともいえる。だが映画は意外にもペレの下心を暴かず、ふたりのこれからの事もうやむやにするように、ダニーのホルガ大祭に溶け合うらしい様を描くことに傾いてゆくようだ。この九日間は80億人世界から転落しそうだったダニーになにを呉れてやったのだろう。
 娑婆ではあれほど不安げな存在だったダニーがここホルガではメイクイーンとして祭事の頂点に立つように著しい持ち上がり方だが、その頂点から一転どんなきっかけでコミューンに反発し逆襲するのか、それとも、ホルガ大祭の場がダニーを絡め捕りきってしまうのか、想像は尽きないものの、どちらにしても見え透いた事に思える。
 ああして祭事が成就し90年後を期してまた例年祭がコミューンを鍛えてゆく事になる。そのときこのホルガはどんな状況下にありペレ達はどんな次世代エージェントを養成し知見を伝え90年後につなげてゆくだろう。その力の中にダニーもまた加わっているのか?なんて、実はその翌日警察の手入れが始まったりして?
 だがそんな想像もまた見え透いた話であって、この謎のホルガがやがて雪に埋もれ、あくる年、一周年祭の浄めに誰かを誘い込み儀式に供する想像の気味悪さにドキドキする方が映画らしいではないか。要は続編の困難さに期待が増すという事である。
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