Aimi

デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆のAimiのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

観た後でボディブローのようにじわじわと感動が襲ってくる作品に仕上がっていた。
4月リブートがどの段階で決定したのかはわからないが、4月リブートを意識するとこの作品のテーマ、この作品の存在そのものが私たちへのメッセージなんだと思うと、泣けて泣けてたまらなくなった。
デジモンと共に歩んだ、すべての子供たちへ。キャッチコピーそのままの作品だ。

大人になるとデジモンとのパートナーシップが解消されてしまう。ということを軸に、デジモンとの別れ、成長すること、大人になること、自立することをテーマに物語が展開されている。
デジモンとの別れは太一たちだけでなく、上映中大きなスクリーンと対峙していた「私たち」もまた対象となっている。
子供の頃に無印を観て、家族に連れていってもらって…または友達と一緒に劇場版を観に行って、02を観て、成長してからtri.を観て、そしてラスエボを観た「私たち」だ。
私たちもまた、この作品をもって太一たちアグモンたちとお別れをする。

正直、エンドロールが終わった直後は狐につまされたような気持ちになった。え?これで終わり?まあ満足はしたけど。。
帰りの電車の中で色々考えた。
4月リブートのことを考えて、ツイートしようとした。
「ラスエボ良かった。4月リブートはまだ不安」
そこではたと気がついた。
あ、私たちのデジモンは、終わったんだ。

アドベンチャーワールドを旅した太一たちは成長し、中学生になり、高校生になり、大学生になり、大人の階段を登った。
私たちもまた彼らと同じように成長し、大人の階段を登った。
大人になるということは、デジモンたちとの別れを意味する。エンドロールではまだパートナーのいる子供たちともういない子供たちの姿があった。パートナーデジモンのいない子供たちは、大人になった=デジモンとの別れを経験したのだろう。
それはイコール、「私たちの世代」のデジモンアドベンチャーの物語は終わった。ということなのではないだろうか。

4月からのデジモンアドベンチャーは、次の世代…今の子供たちのためのデジモンアドベンチャーなのだ。

本当に、終わったんだ。

そう思うと、涙がポロポロと流れて止まらなくなった。
私にはパートナーデジモンはいないはずなのに、さっき目の前で太一とヤマトが、そしてそれよりずっと前にメノアが噛みしめた別れの辛さを疑似体験しているような気さえした。
このラスエボは、「私たち」と「私たち世代のためのデジモン」との別れの作品なのだ。
気持ちよく世代交代をし、次へ引き継いでいくための作品なのだ。

4月リブートについて、墓荒らしだ。ビジネスのためだ。って散々文句を言ってきたけれど、もう私にはそんなこと言えなくなった。
だって、4月からのデジモンは私たちのためにあるのではないからだ。良いものさえ作ってくれたらいい。
私たち世代が感じたワクワクを、感動を、夢を、希望を、たくさんの大切な感情や感動を、今の子供たちも感じられる。
そんな作品にしてくれたらそれでいい。ひとつ上の世代は、もう我がもの顔で何も言えないのだ。

アグモンが言っていた。
「成長する姿を見るのは嬉しい」と。
デジモンたちはいつも言っていた
「ぼくたちはずっと一緒だよ」と。
太一とヤマトは気付いた。
宿命は変えられない。でも運命は変えられる。
成長は悪ではない。大人になることは悲しいことではない。
そこで立ち止まっていてはいけない。
ゲンナイさんは言っていた。
「可能性はある」
エンドロールで流れた歌詞は伝えている。
別れを受け入れ、再会のその日まで自分で運命を切り拓き、再会した日にはたくさんのことを語ることを。
そしてデジモンアドベンチャーをずっと観てきた私たちは知っている。
選ばれし子供たちとそのパートナーデジモンは大人になった後も一緒にいることを。また再び出会えていることを。

太一たちはこれからもどんどん成長する。歩いていく。立ち止まっていたら、デジモンとの再会は絶対に来ないから。
そして別れているその間でだって、デジモンとの繋がり…絆は固く結ばれているのだから。
デジモンたちとの絆は、きっと私たちの心にもあるはずなのだ。
20年分の、固い固い絆が。
別れを受け入れて、前に向かって、歩こうと思った。
心の中には、いつも、いつでも、みんながいるから。


デジモンのみんな、選ばれし子供のみんな、ほんとにほんとにありがとう。
私はみんなに出会えたこの世代で本当に幸せだよ。これからもずっとずっと大好きだよ。
4月からの次の世代のみんな、デジモンめっちゃおもしろいよ。楽しんで、たくさんの気持ちを感じてね。
Aimi

Aimi