ChanpuruPoo

システム・クラッシャー/システム・クラッシャー 家に帰りたいのChanpuruPooのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

幼い頃に父親から虐待を受けた過酷な過去を持ち、暴力衝動を抑えられない9才のベニー(ヘレナ・ツェンゲル)は家族と暮らせず、施設を転々とする日々。行く先々でトラブルを起こす彼女にソーシャルワーカーたちも頭を抱えていた。そんな中、非暴力トレーナーのミヒャ(アルブレヒト・シュッフ)は、人里離れた森の中で2人きりで過ごすプログラムに彼女を連れ出す。ベニーはミヒャを心を開いていき、状況は好転するかに思えたが…。

衝動を抑えられず暴力的な行動を繰り返すベニーと、ベニーをなんとか助けようとする大人たちのいずれの立場からもフェアに描かれている作品で、それ故に見ていて胸が苦しくなるし、考えさせられる。本作において、ベニーの境遇に対する分かりやすい原因や悪役的存在は描かれない(ただ、幼少期の虐待が彼女にどれほどの傷を残しているのかは直接的ではないが印象的に描かれる)。例えば福祉行政の在り方にしても、決して完璧なものではないかもしれないが、彼女と善意ある大人たちをつなぎとめる一つの要因はまさにその福祉の「システム」に良い側面があるから、と言うことができる。また、ベニーが起こしてしまう行動の激しさが克明に描かれるので、いざ直前になって彼女を引き取ることに及び腰になってしまう母親の心理も、共感はできないが理解はできる演出になっている。誰もが問題に真摯に向き合おうとしてもギリギリのところで解決には繋がらない、というもどかしさが募っていき、特に、関係を深めて心を開きあった結果、必要以上の依存感情を招いてしまう、という皮肉な状況と心理がリアルに伝わってきた。見終わった後は「本当にこれ以上、彼女の助けになる術はないのか?」「現行のシステムが助けきれない人たちにどう向き合えばよいのか?」という現在進行形の問いが残り続ける。少なくとも今思うのは、例えば母親がベニーに別れも言わず去った時にソーシャルワーカーのバファネ(ガブリエラ=マリア・シュマイデ)が「ごめんなさい…」と言って涙を流した姿、そんな瞬間が彼女の中に積み重なっていってくれれば、ということだ。
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