Aimi

スウィング・キッズのAimiのレビュー・感想・評価

スウィング・キッズ(2018年製作の映画)
4.0
ジョジョラビットを観た人はこの作品を、この作品を観た人はジョジョラビットを観てほしい。

魂の自由はダンスで表現し得る。

この実にシンプルなメッセージを同じ「戦争下」で描いた2作品であり、思考さえも抑圧された戦時中、魂の自由をダンスで表現した人々を映している。
が、観賞後に得る気持ちは正反対なのである。

ジョジョラビットにおいてこのメッセージは、同作品が持つ様々なテーマやメッセージのうちの1つである。したがってダンスがメインではない(しかしとても象徴的なものとして映している)が、スウィングキッズはこれをメインテーマにどんと据え置き、”F**k Ideology” とまで言っている。
魂の自由を象徴するダンス。
ジョジョラビットにおいてそれは悲しみも喜びも表していた。
スウィングキッズにおいてそれは人々の叫びでもあった。もう言葉では表現しきれない、はちきれて爆発しそうな叫びだった。


資本主義と社会主義の狭間で揺れ対立する韓国で、その時代に翻弄された者、立場が弱かった者、差別を受けていた者、またこの時代だったが故に価値を見出された者たちがクローズアップされている。
それはつまり、新しく押し寄せてくる波に抗う者たちや、女性や、捕虜や、争いに巻き込まれた者や、知的障害を持つ者や、新しい波の中にいながらその中で差別を受けてきた黒人のジャクソンである。
差別を受け、苛まれ、板挟みにされている者たちだ。
どちらかの主義思考に組し争わないといけなかったこの時代、自由が奪われていた時代に、彼らの内の何人かは敵側のダンスに魅入られ夢中になり、敵側の人々と心や魂で交流することになる。
ダンスを通して彼らは、肌の色、性別、言葉の壁、国籍など両者の間にそびえたつ刺ばかりのフェンスをさらりと飛び越え、魂をぶつけ合う。
本音で語り合い、喧嘩をし、競い合い、友情を築き、夢を見て、
ここから出たい。
走り出したい。
自由になりたい。
扉を蹴破り、野を駆け回り、腕を伸ばし、手を広げ、脚を高く上げ、足でリズムを鳴らし、身体を、心を、魂を、開放したいと、
叫び、叫び、叫びまくる。
愛する人に会いたいと。
愛する人の側にいたいと。
ただ好きなことをしたいと。
ダンスをずっとしていたいと。

悲しいタップ
愉快なタップ
怒りのタップ
好きなことに夢中になっている、そのことに対する喜びのタップ

音楽が、リズムが、人の心を高揚させ、全ての壁を取っ払って人々の心を1つにし、様々な感情を持つ足のタップが言葉よりも遥かに雄弁に魂の喜怒哀楽の叫びを語り、それがとにかく心を打つ。
思考の自由が抑圧されたこの時代、隠れてダンスをしなければならなかったこの時代、それを利用されなければならなかったこの時代、彼らの叫びはいかほどのものであっただろうか。
扉を蹴破り、周りを気にせず、外で思い切りダンスがしたかっただろう。魂に大きな大きな翼をつけ、羽ばたかせてあげたかっただろう。


思考が自由であること。
今の私たちが当たり前にできているこんな簡単なことが禁止され、抑圧されていた時代に生きた、その叫びのどうしようもない痛さを、とてつもない苦しさを、一度でいいから聞いてほしい。
Aimi

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