唯

きみと、波にのれたらの唯のレビュー・感想・評価

きみと、波にのれたら(2019年製作の映画)
3.0
まず、自分の命を救ってくれた人には無条件に惚れてしまう説。
目の前に救いのヒーローが現れたら、瞬時に恋に落ちてしまうことは確実。

ひな子は、黄色のビキニが映えるサーファーの海好き女で、生まれながらにして「陽」の気の持ち主。
初めての一人暮らしに部屋の中は雑然としていながら、その天真爛漫さには誰もが惹かれてしまう(大学生の一人暮らしなのに、あんなに広い部屋に住めるのか)。

火災現場からひな子を救った港は、消防士らしからぬ、穏やかなイケメン男子。
料理も卒なくこなし、ひな子に教わったサーフィンもめきめき上達。
消防士なのに、将来の夢はカフェを開くこと、という、フルスペック装備っぷり。
皆の憧れの爽やかくんとして、モテ街道をひた走って来た感が凄まじい(無論、真面目で努力家、且つ人望もある)。

「もし興味あったら乗ってみませんか?波に」というひな子からの誘いがきっかけで、2人の交際はスタートするのだけれど、若いカップルの初々しさがたまらないね。
全身で恋をしている、その多幸感は、若い自分にしか味わえない類のものの気がして、何だか懐かしく思える。

決して上手くはない2人の歌に合わせて、MV風に幸せな場面が綴られ、季節が巡って行く(菅田将暉と中条あやみが「風になりたい」をアカペラで歌う、カローラスポーツのCM的)。
その拙さと、誰の視線も意識していない様なイチャつき具合が、カップルの自宅でのひと時を覗き見しているかの様な後ろめたい気分にさせる。
それ程の、幸せはにかみ盲目っぷり(僻みが混ざっている様な)。

「それに俺、港で良いです。俺もひな子って呼びたいし」
「うん、ずっと助けるよ、必ず」
「港の苗字難し過ぎ」「自分の苗字になったらどうすんの」
「(左手で食べることを)練習したんだ。ご飯食べてる時も手を繋いでいられる様に」
これらの台詞を追うだけでも、付き合い始めにあるあるの、世界に一気に色が付く様なキラキラ感がひしひしと伝わって来るよね。
私も、この感覚をいつかまた味わう日が来るのだろうか(遠い目)。

「私が波に乗れたら。今は港に何でも頼ってばかりで、でも、私もしっかり地に足着けて港みたいに自分で出来ること見付けたい」
ただ寄り掛からせてくれる相手ではなく、私も頑張りたいと思わせてくれる、そんな人と巡り会えたらなあ。
それには、互いに尊敬し合えるという前提が必須で。
互いの存在がそれぞれの背中を押し、2人で居ることで相乗効果を起こし、上昇気流を発生させられる関係性、私の永遠の憧れ。

「泳いで、疲れたら、また休んで。俺がひな子の港になるよ。休む時、疲れた時もいつでも呼んで。10年、20年、ひな子がおばあちゃんになっても、一人で波に乗れる様になるまで」

誰からも好かれるハイスペックな男は、しかし悲劇に見舞われる。
この人だけは死んではならない!死ぬべきではない!という人間に限って命を落とすのがセオリーだよなあ。
素敵な人柄故に、素敵な言葉を大量に残す分、生前の言葉一つ一つが死亡フラグにさえ思えてしまう。

コーヒーを見ても卵サンドを見ても、何を目にしても港を思い出して辛くなるひな子。
海を見ると辛くなってしまう(港は、人命救助の為に命を落としてしまう)ので、海から離れた場所に居を移すほど。
港との生活が日常になっており、港という存在が余りにも日々の生活に溶け込んでいた。
生活のアイテムは、恋人との思い出をいちいち想起させるものだよね、良くも悪くも。

2人を繋ぐ思い出の歌を歌えば、水に現れる港(幻覚なのか霊なのか)。
透明のボトルやスナメリのビニール人形に水を入れては、それを片時も離さず携帯するという、ひな子の気狂いっぷり。

だが、港はもう自分の手でひな子に触れることは出来ない。
いつだって彼女の支えになることは、もう叶わない。
音楽が流れても、それは2人の歌声じゃない。
2人が重なることは、もう二度と訪れない。

「ひな子も次の波に備えないと」
「ひな子を助けるし応援し続けるよ。ひな子が自分の波に乗れるまで」
港の願いは、自分の居ない世界で彼女が自分の力で立つことだし、その為には自分の存在は足枷となってしまう。
「新しい波はどんどんやって来る。ずっと水中に潜っていたら、次の波に乗ることは出来ない」
相手の真の幸せを願うことこそが、愛することに他ならない。

それでも、波に乗ること・一人で生きることを怖がるひな子。
一人で力強く生きてしまうことは、港を忘れることになってしまう。
港に縋ることは、自分への戒めであり、彼への贖罪の念から来るものでもある。

だが、港が消防士を目指したきっかけを知り(幼い頃、海で溺れた自分をひな子に救って貰った為。話が出来過ぎ!)、港のスマホに残された最後のメッセージ「俺の願いはひな子が自分の波に乗れること、ひな子とずっとずっと一緒にいられること」を発見。
このね、未送信の下書きのメッセージという下りもね、ベタが過ぎるよね。

本作は、残された者の物語だと思う。
ひな子は、港の死をきっかけに人を助ける仕事がしたいとライフセーバーを目指し、港の妹・洋子は、兄の意志を継いでカフェで修業を積む。

一方、後輩消防士の山葵は、先輩みたいになれないと落ち込んでばかり。
残された者は、時に自らに重荷を課してしまう。
故人と自分とは全く別の異なる人格であり、別個の人生を送っているというのに、彼・彼女が生きるはずだった時間を想像しては、その分まで生きなくてはともがくのだ。
だが、そこに責任感を感じる必要はないはずで。

山葵に対する洋子の言葉が力強い。
「山葵が兄ちゃんみたいになる必要ないんだよ。山葵は山葵らしく頑張れば良いんだよ」
ちなみに、その後、「あたし、あん時からずーっと山葵のこと好きだから!バーカー!」と、絶叫しながらの告白。
なんだこれ、アオハルかよ(しかしながら、洋子のキャラクターが終始気の強い、で一貫されており、兄を亡くした妹の揺れがちっとも見えなかったのは戴けないポイント)。

だが、この洋子の台詞、実は「山葵が私に言ってくれた言葉」なのである。
過去にふと放った言葉を自分自身が忘れていても、それを受け取った側は大切に胸にしまっていたりする。
それを心の支えにしていたりする。
そして、また、今度はそれを別の誰かに届けたりする。
そうやって、言葉は、人の想いは、多くの人間の間を循環しているのかもしれない。

命を助けるとか、そんな大それたことじゃなくても、人は、何気なく人を助けたり、自分の言葉によって、自分の知らないところで誰かの人生を変えていたりする。
誰だって、人を救えるんだ。救ってるんだ。

最後までキラキラ系人種の物語(しかも、余りにもファンタジー)だったので、私には遠い話だとは感じつつ、こういう臭くてベタな展開は、何だかんだずるくもある。
千葉ポートタワーが恋人の聖地としてのキースポットになっていたが、実際の千葉ポートタワーは寂れた観光地なので、何故ここを選んだのかは謎だった。
唯